オスマン帝国によるアルメニア人大虐殺を記憶する日

© East News / Yvan TRAVERTオスマン帝国によるアルメニア人大虐殺を記憶する日
オスマン帝国によるアルメニア人大虐殺を記憶する日 - Sputnik 日本
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4月24日は全世界のアルメニア人にとってはオスマン帝国時代に行なわれたアルメニア人大虐殺の犠牲者を慰霊する日となっている。

大虐殺が行なわれたのはオスマン帝国(現在のトルコ)。ここは歴史的には西アルメニアと呼ばれ(現在は東アナトリア)、当時の人口の圧倒的多数はアルメニア人だった。

アルメニア人大虐殺の原因となった政策はまず、当時のオスマン帝国がとっていた汎テュルク主義のイデオロギーで、テュルク人以外の民族への不寛容がその特徴。

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1915年4月24日、現在、アルメニア人大虐殺の日として記憶されるこの日にコンスタンチノーポルでアルメニア人の知識階級、宗教、経済、政界のエリートらの大規模な逮捕が開始。その後こんどは西アルメニアでアルメニア人の大量虐殺、国外追放が始まった。当時の試算では虐殺による犠牲者は20万人から200万人以上と開きがある。また80万人以上が国外へ亡命した。

世界中のアルメニア人は何年にもわたって、国際社会が大虐殺の事実を公式的に無条件で認めるよう努力してきた。1915年の恐怖の悲劇を最初に公式的に認識する法的文書を出したのは、ウルグアイ議会で1965年4月20日のことだった。

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その後、アルメニア人大虐殺に事実を公式的に認める法律は欧州議会、ロシア下院(国家会議)、キプロス、アルゼンチン、カナダ、ギリシャ、レバノン、ベルギー、フランス、スウェーデン、スイス、スロバキア、オランダ、ポーランド、ドイツ、ベネズエラ、リトアニア、チリ、ボリビア、バチカンで採択されている。

これに対し米国政府は、オスマン帝国が150万人のアルメニア人を殺害した史実を認識したものの、これを虐殺と呼ぶことは退けている。

トルコはアルメニア人虐殺の非難を一貫して退けており、1915年の悲劇ではアルメニア人にもテュルク人にも犠牲者が出たと主張し続けている。

アルメニアとトルコの間には外交関係が樹立されておらず、両国の国境は1993年よりトルコ側の発案で封鎖された状態にある。

アルメニア人大虐殺から100年を慰霊するスローガンには「忘れない、そして求め続ける」が、シンボルには忘れな草が選ばれた。この花言葉はあらゆる言語に共通して「記憶する、忘れない、思い起こさせる」という意味を持つ。

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