日本海における「2000年事件」

© Sputnik / Igor Zaremboロシアの戦闘機Su-27
ロシアの戦闘機Su-27 - Sputnik 日本
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ロシアの飛行士らは2度にわたり、米国の空母「キティ・ホーク」率いる空母団を不安のどん底に陥れた。

2000年10月、同空母団は米日共同の日本海演習に臨んでいた。ロシア沿岸からは300km離れた海域だ。17日、ロシアの戦闘機Su-27に伴われた2機の偵察機Su-24MRが、米艦を発見した。当時のロシア空軍総司令官だったアナトーリイ・コルヌコフ氏(物故者)によれば、「結果的に普通でない課題に当たることにはなったものの、通常の計画飛行だった」。

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ロシア側は国際合意を特に違反しなかったが、偵察機は印象深い成果を残すことになった。米空母のMDシステムはロシア機の接近を見逃した。Su-24MRは何度か空母に接近し、甲板上の出来事を撮影。2度目の接近ではロシア機に対し米艦載機F/A-18が発進。しかしSu-27が即座に誘導飛行によって米機を撹乱し、偵察機はさらに数度の接近を行い、無防備な甲板の様子を撮影した。

2000年10月17日、日本海で起こった出来事を、当時「キティ・ホーク」に搭乗していた米海軍兵が鮮やかに描写している。知人へのEメールが米国のインターネットフォーラム「Airliners.net」で公開されている。

「部下と私の耳に突如として軍事情報センター、つまり空母の『脳』にあたるところからの呼び鈴の音が飛び込んだ。『サー、ロシア機を確認しました』ということだった。船長が答える。『警報を出せ、戦闘機を出せ』。センターは言う。『出せるのは<警報30(警報発令後30分経ってからしか飛行機が出せない)>のみです』。船長は叱責し、どなった。『何でもいいから発進させなさい、すぐに!』

そこへロシアのSu-27とSu-24が速度500ノットで『キティ・ホーク』のブリッジの真上を飛んで行った。映画『トップ・ガン』さながらに!将校らは驚いてコーヒーをこぼした。船長の顔は紫色になった。

ロシアの戦闘機はさらに2度、低高度で曲芸飛行を行った。そのあとでやっと艦載機を発進できた。発進したのは無線電波戦機『プラウラー』だ。それが船の真上で、戦闘機と一対一になった。(実戦では飛行機もパイロットも確実に死亡するだろう-編集部)。そのあとでやっと迎撃のために『ホーネット』(F/A-18)が発進したが、遅すぎた。この間ロシア機が迎撃に手を拱く我々をあざ笑うかのように振る舞う様を我々は目にしていた。

空母の船長や司令官らは朝礼のため司令部に詰めていた。朝礼はロシア機のタービンの爆音で中断された。何しろロシア機は操舵室の真上で旋回していたのだ。参謀付き将校が教えてくれたのだが、かれらは互いに目を見かわし、飛行計画を見て、それが数時間後に始まることを確認したあとで、『ではあれは何だったのか?』と尋ね合った」

11月9日、米空母が演習から帰ると、ロシア機は再び「キティ・ホーク」に接近。再び米レーダーはあまりに発見が遅れた。

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2000年12月7日、ワシントンの記者会見で、米国国防総省のベーコン報道官と米海軍のピエトロパオリ報道官は、ロシア機が「キティ・ホーク」上空を飛行した事実を認めた。ロシア側はのちに「キティ・ホーク」司令部に空母を空撮した写真と、ロシア語で簡単なメッセージが描かれたEメールを送ってきた、と彼らは発表した。両者は、この件は軍事的には何の重要性も持っていないと述べた。

とりわけロシア機パイロットの技術の高さを証明しているのは、かれらが米空軍空母団のMD網を突破したことである。空母の防御は非常に慎重に、重厚に作ってある。その点は米国側を評価してやらねばならない。しかし10月17日および11月9日の出来事は、米側には痛恨の失敗であった。

ロシア側は今回の出来事を「仮想撃滅」と呼んで喜んだ。軍参謀本部はロシア機パイロットらの仕事ぶりを称賛した。彼らは米国空母団のMDシステムを「暴き出した」という評価だった。結果、偵察機Su-24および戦闘機Su-27のパイロットらは褒章を貰った。

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