広島の原爆で焼け残ったバイオリン 故郷のロシアに届けられる【写真】

© AFP 2023 / JIJI Press広島の原爆で焼け残ったバイオリン 故郷のロシアに届けられる
広島の原爆で焼け残ったバイオリン 故郷のロシアに届けられる - Sputnik 日本
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14日、ウラジオストクに大型客船「オーシャン・ドリーム」が到着した。船には、日本の旅行客や乗務員のほかに、船上には「あるもの」が積まれ、97年ぶりに故郷に届けられることになった。その「あるもの」とは、広島の原爆で焼け残った有名な故パルチコフ氏のバイオリンだ。そしてバイオリンの音色はやっと持ち主の故郷に鳴り響くことになった。

セルゲイ・パルチコフ氏は1893年にロシアに生まれ、4歳のときからバイオリンの演奏を始めた。

革命時、パルチコフ氏と妻はウラジオストクに非難せざるを得ず、そこから1921年に奪った船で日本へとたどり着き、家族と共に広島で暮らし始めた。

1921年からパルチコフ氏は無声映画の上映の際の音楽家として働き、その後、大学で音楽を教授するようになった。音楽の他に同氏は広島の軍事学校でロシア語を教えていた。

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1945年8月6日、広島に原爆が投下された。その時、パルチコフ氏と家族は爆心地から2.5キロメールのところにいた。彼らは奇跡的に生き残り、みな無事だった。パルチコフ一家はまた家を失った。長男のニコライは米国で勉強していたため、原爆のニュースをラジオで聞き、彼の家族は犠牲になったと思った。

しばらくしてニコライは広島を訪れ、実家の焼け跡で父と再会することになった。再開したパルチコフ一家はバイオリンを手に米国に渡った。

1986年、セルゲイ・パルチコフ氏の娘は、彼が教授した広島の大学にバイオリンを寄贈した。バイオリンは壊れていたが、教育施設の博物館に展示された。しかし、昨年12月にバイオリン製作者の石井高氏が修復を行った。

​そして14日、大型客船に集まった観客を前にバイオリストの香田早智氏が日本からの旅行者とウラジオストク市の住民のためにコンサートを開催、パルチコフ氏のバイオリンを演奏した。

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