2020年度のワースト発言
日本では毎年、政治家たちによる性差別発言のリストが発表され、その中から、インターネット投票に基づき、もっとも不適切な発言が選ばれる。リストでは、ネット上の発言は含まれていないが、それでもかなりの候補者の名が挙がっている。
残念ながら、過去数年と同様、ランキングでは日本の大物政治家の名前が多数含まれている。2年連続で1位に選ばれたのが副総理兼財務大臣の衆議院議員、麻生太郎氏である。投票者の34%が麻生氏の出産に関する発言は許しがたいものだと考えている。その発言とは、「(日本人の平均寿命が延びたのは)いいことじゃないですか。すばらしいことですよ。いかにも年寄りが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるけど間違ってますよ。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」というものであった。
続く2位に入ったのは安倍晋三前総理大臣。「お父さんも恋人を誘って、お母さんは昔の恋人を探し出して投票箱に足を運んで」。
また今回も女性議員に対する批判的な発言もランクインしている。三ツ矢憲生衆議院議員は、吉村有美議員の主な功績が出産だったという趣旨の発言をした。「この6年間で吉川有美(参議院議員)は何をしてきたのか。一番大きな功績は子どもをつくったこと」と。この相手が男性であっても、三ツ矢議員が同じような発言をし、仕事の成果とプライベートを混同したかどうかは興味深いところである。
もう一つ、出産に関する問題に関して別の局面がある。それは現在のところ、女性だけがそのほぼすべてをこなしている子育てに関することである。日本人女性は、ほかでもない家事や育児の分業が不十分であることが家庭を築く大きな障壁となっているとの主張しているにもかかわらず、今なお、家父長主義的な考えを貫いている政治家がいるのである。
2018年5月27日の自民党宮崎県連の会合での講演中萩生田光一衆議院議員は次のように述べた。 「0~3歳児の赤ちゃんに『パパとママ、どっちが好きか』と聞けば、どう考えたって『ママがいい』に決まっている。お母さんたちに負担がいくことを前提とした社会制度で底上げをしていかないと、『男女平等参画社会だ』『男も育児だ』とか言っても、子どもにとっては迷惑な話かもしれない」。
女性に対しての要求ばかりが高まる
実は、こうした発言は外国人政治家との会談の中でもうっかり出てしまっている。2017年6月3日にアジア安全保障会議で防衛大臣として発言した稲田朋美衆議院議員は、オーストラリアとフランスの国防担当大臣(ともに女性)を見て、「私たち3人には共通点がある。みな女性で、同じ世代・・・。そして全員がグッドルッキング(美しい)!」と言ったのである。
稲田氏はおそらくこの2人の女性大臣に褒め言葉を言おうとしたのだろう。しかし、女性を外見で判断したり、公の場で役職とは関係のない外見の素晴らしさや不完全さを指摘することは、現存のステレオタイプに同意することと同じなのである。
一方、沖縄県知事選挙に向けて2018年9月に行われた公開討論会で、司会から女性政策について問われた佐喜真淳元宜野湾市長は、「女性のパワーは年々上がっている。女性の質の向上、女性の地位やモチベーションが上がるような環境をつくっていくことが重要だ」と答えた。沖縄に女性に対する差別があることを認めつつ、その理由を、女性を取り巻く社会にではなく、女性自身の資質に求めたのかもしれない。
産めない女性は国の支援を受けるに値しない?
杉田水脈衆議院議員は、2018年に同性カップルは子どもを作ることができないということ、そしてそうしたカップルに対する国家の立場との関係について、以下のような露骨な発言を行なっている。
「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」「朝日新聞がLGBTを報道する意味があるのでしょうか。むしろ、冷静に批判してしかるべきではないのかと思います」。
一方、谷川とむ衆議院議員は同性カップルを趣味と比較し、こう言った。「同性婚や夫婦別姓といった多様性を認めないわけではないんですけど、それを別に法律化する必要はないと思っているんですね。趣味みたいなもので」。
竹下亘衆議院議員は同性のパートナーは、異性のパートナーよりも低く扱うべきだとして、次のような発言を行った。
「(国賓の)パートナーが同性だった場合、私は(晩餐会への出席には)反対だ。日本国の伝統には合わないと思う」。
性差別やその他の差別発言にまつわる問題は、日本だけのものではなく、世界中の政治家が行なっていることである。問題は、政治家たちは男女不平等について、本当の信念を口にしているのか、それとも同じような考えを持つ投票者たちの支持を得るためだけのものなのかということである。もしかすると、どちらでもあるのかもしれない。その答えがどうであれ、こうした発言が今後も続いていくのかどうかは、何よりも社会の反応によるのである。