著名な映画監督は、学生時代にすでに脚本の執筆に夢中になり、授業中も作品を考案し、そのためにしばしば教師とトラブルになっていたことを明らかにした。教師らは、少年が執筆にのめり込むのを「挑発的な反抗行為」として捉えていた。息子の成績不振と教師の頻繁な叱責がタランティーノの母親を怒らせ、イラつかせた。そのため、少年は学校や家庭でいつも叱られることとなった。
インタビューでタランティーノ氏は、12歳の時にはじめて真剣にシナリオを執筆し、母親が手伝ってくれることを期待して見せたと語った。しかし、母親の反応は期待に反するものだった。「母親は私を怒鳴りつけ、以降は、私が書いたものをさげすんで『たわごと』だと呼んだ」。こうした不当な侮辱を受けた後、未来の映画『パルプ・フィクション』の監督は、こうした残酷な言葉を投げかけた母親を永遠に許さないと決心し、復讐の計画を考え出した。若きタランティーノ氏は、作家として成功しても自分の報酬からは1セントたりとも母親には渡さないと誓った。
同サイトによれば、タランティーノ氏は、子ども時代のこの誓いを守り、俳優として、そして脚本家として成功をおさめたキャリアを通じて、自分の多額の収入から1セントたりとも母親には渡さなかったという。母親を援助したのは、かつて彼女が税務署との間で重大な問題を抱えた時だけだったという。
以前、通信社「スプートニク」は、クエンティン・タランティーノ氏の人気が世界的に高いことから、英国の匿名アーティストのバンクシーが製作した彼の作品『パルプ・フィクション』のパロディー版でさえ、オークションで12万5000ポンド(約1910万円)で落札されたことを紹介している。