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誕生日を祝うエテリ・トゥトベリーゼ有名なフィギュアスケートコーチについてわたしたちが知っていること

© Sputnik / Vladimir Trefilov / メディアバンクへ移行トゥトベリーゼ氏(アーカイブ写真)
トゥトベリーゼ氏(アーカイブ写真) - Sputnik 日本, 1920, 24.02.2022
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2月24日、エテリ・トゥトベリーゼは48歳の誕生日を迎えた。8年前、彼女の名はまだスポーツ界の一部にしか知られていなかったが、彼女に師事していた当時15歳のフィギュアスケート選手、ユリヤ・リプニツカヤが2014年2月のソチオリンピックで金メダルを獲得した後、トゥトベリーゼの名は世界中に轟くようになり、フィギュアスケートを習う子どもを持つ親たちは、自分の子どもをなんとしても彼女のグループに入れようと列を成した。当時、その「冷たい」表情とマスコミへの対応をしなかったことから、彼女は「雪の女王」と呼ばれた。しかし、トゥトベリーゼというコーチは、実際に冷たい人間なのだろうか。「スプートニク」が取材した。

シングル選手になりたかった

エテリは1974年2月24日、モスクワで、3人の姉と1人の兄を持つ末っ子として生まれた。エテリという名前は母親にちなんでつけられた。4歳のとき、エテリはどうしてもフィギュアスケートを習いたいと懇願したが、スポーツと何の関係もなかった家族にとって、それはまったく予期せぬものであった。エテリの父親は工場の鋳鉄製造者、母親は技師であった。しかし両親は、エテリが4歳半のとき、有名なソ連のスポーツ選手たちがプロへの道をスタートさせる場所であった若きピオネールスタジアムに連れていくことになる。エテリは最初、女子シングルのグループで練習していたが、背中に怪我をした後、負傷の確率が少ないアイスダンスのグループに移されることになった。18歳のとき、エテリは、家族の反対を押し切り、アイスショー「Ice Capades」の公演に参加するため渡米する。そして2003年1月、そこで娘のディアナ・デヴィスを出産した。

天職としてのコーチ業

エテリは、オハイオ州シンシナティで、子どもを指導するコーチとしての最初の一歩を踏み出す。「わたしには生きていくためのすべてがありました。家もあり、友人もいて、コーチとして認められ、お金もありました。しかし、足りないのは、もっとも大事なものである自分の家族というものでした」とエテリはあるインタビューで打ち明けている。米国に6年住んだあと、エテリは祖国に戻り、最初は健康促進のためのスケートグループを指導していたが、2008年から児童青年スポーツスクールで働くようになる。これが後に、アイスリンク「フルスターリヌィ」と改称されることになる施設である。
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そしてその6年後には、トゥトベリーゼが指導する若きスケート選手、ユリヤ・リプニツカヤがソチ五輪で金メダルを獲得。それに続き、世界選手権やオリンピックで、エヴゲニヤ・メドヴェージェワ、アリーナ・ザギトワ、アレクサンドラ・トルソワ、アリョーナ・コストルナヤ、アンナ・シェルバコワ、カミラ・ワリエワなど、トゥトベリーゼの教え子たちが次々と輝かしい勝利を挙げるようになる。
2018年はトゥトベリーゼにとって、とても苦しい1年となった。平昌五輪の氷上で、教え子であるメドヴェージェワとザギトワが激しい金メダル争いを繰り広げているとき、エテリは自分の指導する選手のことで重圧を感じる一方で、重い病に冒されていた母親のことでも胸を痛めていた。そしてその年の11月、母親はこの世を去った。また同じ年、メドヴェージェワが、ブライアン・オーサーに師事するためカナダに移り住んだ。2020年、メドヴェージェワはロシアに帰国し、トゥトベリーゼグループに戻ったが、その頃、トゥトベリーゼは国際スケート連盟(ISU)の最優秀コーチ賞に選ばれている。エテリ自身は、「わたし個人の功績を過大評価する必要はない、フィギュアスケートの選手を育てるには、何人もの専門家から成るチームが必要なのだ」と何度も述べている。
北京五輪中、12月に採取されたカミラ・ワリエワの検体から禁止薬物が検出されたことに端を発する騒動の後、トゥトベリーゼに対しては、教え子たちに対する「冷たい」態度やその指導法、また若い少女たちを利用しているなどとして、激しい非難が浴びせられた。また女子フィギュアの年齢制限が引き上げられれば、彼女のキャリアは終わるだろうといった声も上がっている。
北京五輪後、帰国したトゥトベリーゼは、これに対し、自らのインスタグラムに投稿したなかで、次のように反応している。
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フィギュアのワリエワが語るトゥトベリーゼ・コーチ像 インスピレーションを与えてくれる
「わたしたちのスクールにとって、もっとも厳しいオリンピックがまた一つ終わりました。(今回の五輪について)簡単な分析をし、結論を出すことができるでしょう。アレクサンドラ・トルソワは、フリースケーティングで5種類の4回転ジャンプを決め、女子フィギュアスケートのステレオタイプを壊し、同時に、不可能が可能であるということを証明してみせました。アンナ・シェルバコワは、多くの試練を乗り越え、持っているもの以上のものを出すことができるという能力によって、もっとも多くのタイトルを持つ現代のフィギュア選手の一人となりました。カミラ・ワリエワはわたしたちの小さな星です。壊れやすく、しかし同時にとても強い選手なのです。今回、カミラを襲った試練は、わたしたちのチーム全員で乗り越えなければなりません。なんて象徴的な状況なのでしょうか。昨日、微笑んでいた者が今日はジャッカルが襲うように、異端尋問をしてくるのです」。
さらにトゥトベリーゼは、ロシアのメディアに対し、次のように述べている。
「わたしは彼ら(教え子たち)が自分で研鑽を積めるようになってほしいと思っています。両親は、彼らをオリンピックチャンピオンにしてほしいと言ってここに連れてきます。健康促進のため、あるいは楽しむためのフィギュアスケートの学校は他にもたくさんあります。しかしここに来た以上、必死で練習し、懸命に努力しなければならないのです」。
「わたしはおそらく正しい母親ではないでしょう。母親はコーチであってはならず、コーチは母親であってはなりません。しかし、わたしには他に選択肢がありませんでした。わたしは毎日、10時間ほどリンクで過ごしています。もし娘がスケート以外のことをしていたなら、わたしたちは一日すれ違うこともないでしょう」。
「自分が手にしているものを、大切にしなければなりません。このシーズンは何もかもが順調だったわけではありません。怪我をした選手もいます。しかし、道が険しければ険しいほど、そのメダルにはより大きな価値があるのです」。
そして、あなたにとってフィギュアスケートとは何ですかと問われたトゥトベリーゼは、「それはわたしの人生です」と答えている。
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