ヴィクトル・ブート氏の一件 自由のために米国と戦った15年間

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ヴィクトル・ブート氏 - Sputnik 日本, 1920, 10.12.2022
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ヴィクトル・ブート氏は、約15年間にわたる米国での生活を終え、ロシアに帰国した。米国で刑務所生活を送っていたブート氏と、ロシアで麻薬密輸の罪で服役していた米国の女子バスケットボール選手ブリトニー・グライナー氏との身柄交換が行われたためだ。身柄交換は、アラブ首長国連邦の首都アブダビで秘密裏に行われた。
ヴィクトル・ブート氏(1967年にタジク・ソビエト社会主義共和国で生まれた)は、モスクワにある軍の外国語大学を卒業した。ポルトガル語の短期コースを終えたブート氏は、国連平和維持軍の一員としてアンゴラやモザンビークに通訳として赴いた。中尉に昇進後に退役し、ソ連邦協同組合連合会の航空輸送組織センターで通訳を務めた。1992年に南アフリカに渡り、航空輸送の企画に携わった後、1995年にベルギー、1998年にアラブ首長国連邦に渡った。ブート氏は複数の航空会社を経営していた。
ブート氏は、「1994年、ウガンダで大虐殺が始まったとき、我々はフランスの部隊をアフリカに派遣した。また、ベルギー軍の部隊をソマリアに派遣し、その輸送の安全を1年半にわたって確保した」と、2008年のインタビューで欧州連合(EU)加盟国との協力関係について詳細に語っている。
2002年、国連はブート氏に渡航禁止令を出し、2005年には米国とともに、ブート氏および同氏に関連するすべての企業や個人の口座の凍結を要求した。その頃、ブート氏の名前は、国連制裁を回避するための兵器・弾薬の供給者として、国連安全保障理事会や米国務省の報告書に登場していた。しかし、ブート氏とその一家によると、2002年には同氏のビジネスは実質的に何もなく、ブート氏はロシアに住んでおり、2001年以降は国際的な事業をしていなかったという。

タイで拘束

2008年3月6日、観光でタイを訪れたブート氏は、バンコクのホテルで逮捕された。逮捕は米国からの要請で発行された令状に基づいたもので、タイ警察の特殊部隊と米国の麻薬取締局(DEA)など米国の捜査官がこの逮捕に関与している。ブート氏は、1997年から2021年まで、米国がテロ組織に認定しているコロンビアの左翼反政府武装組織「FARC(コロンビア革命軍)」に地対空ミサイル用の兵器を販売したという共謀罪に問われたのである。
米国当局によると、ブート氏は中東、アフリカ、東欧、米国を拠点とする世界最大の自家用航空機を管理し、戦車、ヘリコプター、兵器を世界のほぼ全域で移動させる能力を持っていた。これらすべての起訴についてブート氏自身は否定しており、合法的な国際航空事業を昔営んでいただけだと述べている。
ブート氏は2009年と2010年に2回、逮捕された。タイの裁判所は、米国がブート氏の犯罪を証明する十分な証拠を提供していないと述べ、米国の要請を政治的迫害と定義し、米国へのブート氏の引き渡し要請を拒否した。
2010年7月、米国議会議員35名がタイの当時の首相に対し、ブート氏の身柄引き渡しを要請した。タイの裁判所はブート氏の身柄引き渡しを認める判決を下し、同年11月16日、ブート氏は米国に移送された。

米国での裁判

「米国対ブートの裁判」は、2011年10月11日にニューヨークの裁判所で開始された。
陪審員は、「米国市民殺害の陰謀、公職者殺害の陰謀、対空ミサイル購入・販売の陰謀、テロリスト集団への兵器供給の陰謀」という4つの容疑でブート氏に有罪判決を下した。
ブート氏自身は、いずれの容疑も認めていない。
ブート氏の弁護団は、有罪判決の取り消しを申し立てたものの、却下された。2012年4月5日、ブート氏に懲役25年、罰金1500万ドル(約20億円)の判決が下った。米国で厳格な警備体制を敷く5つの刑務所のうち、警備レベルが3番目に高いとされるマリオン刑務所に収監された。
2012年8月、ロシア法務省は米国側にブート氏の引き渡しを検討するために必要な書類を提出したが、米国側はこれを拒否。
長い間、ロシアの外交官はブート氏の解放について米国と交渉を行なっていた。米国は、同氏を身柄交換の対象者に加えることに関する対話を断固として拒否した。
米女子バスケットボールのブリトニー・グライナー選手 - Sputnik 日本, 1920, 05.08.2022
米女子バスケ選手に有罪判決 麻薬密輸で
メディアで報道されているように、2022年7月末、米政権はロシア政府に対し、ブート氏と、ロシアでスパイ行為で有罪判決を受けた米国籍のポール・ウィラン被告、8月に麻薬密輸で懲役9年の実刑判決を受けたバスケットボール選手ブリトニー・グライナー選手との身柄交換を申し出た。しかし、12月8日に行われた身柄交換は、ブート氏とグライナー氏のみだった。
Россия и США обменялись заключенными В. Бутом и Б. Грайнер  - Sputnik 日本, 1920, 10.12.2022
ブート氏
© Sputnik / РИА Новости / メディアバンクへ移行グライナー氏
Россия и США обменялись заключенными В. Бутом и Б. Грайнер   - Sputnik 日本, 1920, 10.12.2022
グライナー氏
その結果、この2人に対する刑事手続きは停止し、2人とも完全な自由が認められた。ブート氏はロシアに帰国し、すでに家族と一緒に過ごしている。家族がブート氏に最後に会ったのは3年前のことだった。一方、ウィラン被告は、ロシアで服役生活を続けている。
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