「何の疑問も抱かなかった」5月31日にトルーマン米大統領は日本への原爆投下を決定した

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たった1つの命令で数十万人の命を奪った人物は、その人生最後の日まで自分の行為を後悔することはなかった。米国の第33代大統領ハリー・トルーマンは、全世界が広島と長崎の悲劇にぞっとしたあとも、その回顧録で次のように記している。「私は原爆を軍事兵器とみなし、それを使用するべきだということについて何の疑問も抱かなかった」。
マンハッタン計画は米国の原爆開発計画で、1945年5月までに成功裏に終了した。同年5月31日に開かれた原子力兵器に関する暫定委員会の会合で、マンハッタン計画で製造されたプルトニウムを用いた「ガジェット」および「ファットマン」と、高濃縮ウランを用いた「リトルボーイ」の計3発の原子爆弾の運命が決定した。「ガジェット」は米国の試射場で実験に使用されることが決まり、「ファットマン」と「リトルボーイ」は米国に屈辱をもたらした真珠湾攻撃に対する日本への「報復」として使われることになった。
米国は1945年11月に日本の島々を最終的に占領する計画だった。そして、原爆の使用は一般に受け入れられている戦争遂行行為の原則に矛盾しない正当な行為とみなされた。なぜなら原爆投下は数千人の米兵の死を防ぐと考えられたからだ。なお、高齢者や乳幼児を含む数十万人の日本人の死については会合で議論されなかった。会合の参加者らは、全体的に次のような結論に至った。
「ターゲットの最終的な選択は主に軍の問題であることを認識しつつ、委員会は原爆をできるだけ早く日本に投下すべきだと考えている。原爆は労働者の住宅に囲まれた軍需工場に投下されるべきである。原爆投下は事前警告なしに実行されるべきである」
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