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ヴィソツキーを全国的に有名にしたのは映画『vertical』(1966)で、作中ではヴィソツキーの自作曲が5本使われた。また、最も有名な出演作には『待ち合わせ場所は変えられない』(The Meeting Place Cannot Be Changed)が挙げられる。
高い知名度と権威のおかげで、ヴィソツキーにはソ連市民が夢にも思わないことが許された。彼は、公演のため国外に出ることが許された数少ないソ連人の1人だった。さらに、モスクワで2つしかないメルセデスの所有者だった。なお、もう1台はソビエト連邦共産党中央委員会のブレジネフ書記長が保有していた。
ヴィソツキーは1980年、モスクワ五輪が開かれていた時にこの世を去った。ソ連当局は五輪の祝祭感に影を落とさないため、この悲劇の情報をなんとか隠そうとした。しかし、「上から」の無数の努力にも関わらず、葬儀が行われたタガンカ劇場前の広場は人々で埋め尽くされた。最後のお別れをするため、屋根に登った人もいる。
最近の世論調査によると、ロシア人は今に至るまで、宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンやソ連のゲオルギー・ジューコフ元帥と並び、ヴィソツキーを20世紀の偉大な崇拝対象の1人だと見ている。ヴィソツキーは2018年1月25日、生きていれば80歳を迎えた。
生誕80週年に合わせ、スプートニクの5大陸からの外国人従業員は最も有名なヴィソツキーの歌の1つ、『ボリショイ・カレトヌィで』を歌った。この曲はモスクワ中心部にあるボリショイ・カレトヌィ横丁時代の彼の人生についてのノスタルジーを歌ったもので、若かりし頃の友人レヴォン・コチャリャンに捧げられた。