米国史におけるベトナム戦争の血塗れた跡 ソンミ村虐殺50年

半世紀前の1968年3月16日、第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊の兵士がベトナ雨のソンミ村に突入し、村全てをほぼ完全な壊滅状態に追い込んだ。およそ500人の民間人が亡くなった。うち多くは残酷な拷問を受け、女性は強姦された。
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村に入った兵士は道を行き、家々の窓やドアに手榴弾を投げ込んだ。その場で殺された者、建物の中や空き地に追い込まれてから銃殺されたものもいた。

しかし、多くの兵士は大量虐殺への参加を拒否し、衛生ヘリで避難するため自らの足を撃ち抜いた兵士すら1人いた。村に入った米兵100人のうち、虐殺に関与したのは30人だった。

OH-23偵察ヘリを操るヒュー・トンプソン・ジュニア准士官は、防空壕逃げ込むベトナム農民のグループと彼らを殺そうとする米兵たちの間に着陸。トンプソン氏は、米兵がベトナム人を殺そうとした場合、その米兵に発泡するよう命じた。トンプソン氏は負傷したベトナム人の避難のためにトムソンは複数のヘリコプターを呼んだ。

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ソンミ村虐殺50年、哀悼
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民間人の大量虐殺を止めたトンプソン氏など数人の兵士は後に褒章を受け取った。

この犯罪は国際社会から大きく批判され、ベトナム戦争の最も象徴的で有名な出来事となった。カリー中尉は米国の裁判所で唯一有罪判決を受けた兵士だが、3.5年の自宅軟禁後、恩赦を与えられた。

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