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資料は、滋賀医科大学の西山勝夫・名誉教授による請求で機密解除された。西山名誉教授が機密解除の請求を初めて行ったのは2015年。
資料には、外科医52人、技師49人、看護婦38人、731部隊が所属していた関東軍防疫給水部に勤務していた衛生兵1117人など、731部隊の隊員ら3607人の名前や住所が含まれている。
731部隊は、生物・細菌兵器の開発を目的として1936年に創設された。
同部隊の活動には、実験用の様々な疾病(例えば、炭疽症や天然痘)への感染、生体解剖などの非人間的な実験の実施が含まれていた。
一部のデータでは、実験の過程でおよそ3千人が死亡したとされる。
731部隊の活動は基本的に、第2次世界大戦末まで満州国の領土だったハルビン市周辺で行われていた。
戦争終結後、部隊長だった石井四郎・陸軍軍医中将と他の将校らは、自らが行った実験の結果を共有することと引き換えに極東国際軍事裁判による訴追を免れる特権を得た。
部隊隊員の一部はソ連軍の捕虜となり、その後1949年12月のハバロフスク裁判で、2~25年間の拘禁を宣告された。