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クラヴツォフ会長によれば、アン選手はロシアで監督として働くことを望んでいない。
「我々は彼とあらゆるパターンを検討したが、ある状況から、なによりもまず家族の状況が理由となって、彼はまさにこうすることを決めた。」
同会長は「彼はロシアにおけるショートトラックの発展に寄与してくれた。我々はその功績に感謝している」と語った。
ヴィクトル・アン氏はショートトラック・スピードスケートの選手生命を終えて、ロシアから去る。
ヴィクトル・アン氏は韓国の選手として2006年トリノ五輪に出場し、3つの金メダルを勝ち取った。ところがその後、膝の故障からバンクーバー五輪の出場を逃し、ソチ五輪を前にしても国の代表選手には選ばれず、祖国ではもっぱら選手生命が尽きたと噂されていた。
アン選手は一念発起し、スケートに専念できる環境を求めてロシアへ帰化。2014年のソチ五輪にはロシア人選手として出場し、3つの金と銅1枚を勝ち取り、見事リベンジを果たした。ロシアに3つの金をもたらしたアン選手の功績は高く讃えられ、プーチン大統領から祖国への功績をたたえる勲章を授与された
一方でもともとの祖国韓国ではこうしたアン選手の行為への評価は二分している
最後の出場のチャンスと噂された祖国での2018年の平昌五輪には、ロシア選手団のドーピングに関与との疑惑をかけられ、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長に説明を要求する公開書簡を送ったものの、出場の機会を奪われた。
アン氏には、2015年、韓国出身の女性との間に女児が生まれており、ロシアを出るという決意は、子どもの教育を祖国韓国で受けさせたいという夫婦の願いと関係したものと見られている。ただしアン氏はロシア国籍取得と同時に韓国籍を剥奪されており、妻もロシア国籍を取得している。