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以下にご紹介するランキングは、ピックアップした場所のうち、「怖くない順」になっている。
5 赤坂ウィークリーマンション
ある英語版の観光ガイドによれば、赤坂ウィークリーマンションは、霊が出る最も危険な建物ランキングの一位に入っているという。ネット情報によれば、この建物は誰もいないのに電気が点いたり消えたりし、白い煙が出たり、誰かが触れてくるような冷たい感触を感じるのだという。
日本で、赤坂ウィークリーマンションといえば、プチエンジェル事件の舞台として有名だ。2003年7月、小学生の少女4人が誘拐され、未成年デートクラブ「プチエンジェル」の経営者が契約する一室で、4日間にわたって監禁された。犯人はこの部屋の居間で自殺し、少女のうち一人が抜け出して助けを呼んだ。
この後、東京では、未成年者売春のネットワークやポルノ撮影所などが摘発された。この非合法ビジネスには、「非常に大きな影響力」をもつ人々が関わっているとの噂があり、この事件はクローズされた。しかし、霊が出るという噂は現在に至るまで囁かれ続けている。
取材班が赤坂を訪れたとき、かつての赤坂ウィークリーマンションはもうなく、跡地には2軒のホテルが建っていることがわかった。赤坂ウィークリーマンションにいた幽霊はその場にとどまったのか、それとも新しい住処を見つけたのだろうか。
4 箱根山
箱根山は、美しい景観の戸山公園の中に位置している。東京中心部で最も高い山だ。昼間はベビーカーを押した母親やカップルがこの山の近辺を散策している。しかし夜になると、山頂のほうから、胸が張り裂けるような男女の叫びが聞こえてくる。暗くなってから山の近くを散歩した人によると、そばに誰もいなかったのに、人の声を聞いたということだ。
この場所で何が起きたか、その歴史を知っている人は、余計恐ろしい。明治時代初頭、この場所に陸軍戸山学校が開校した。廃墟になった学校は箱根山から見ることができる。第二次世界大戦中、公園全体が軍によって使用されており、医療施設や、軍人の訓練施設などがあった。戦後、軍の持ち物だった建物は撤去された。1989年、公園内に国立感染症研究所を作ろうという話が決まったが、建設中に地中から人骨が出てきたのだ。この場所に人が埋葬されたということを証明する書類がどこにもないにもかかわらず、だ。箱根山のそばでは100を超える人骨の一部が発見された。これらの人々は、戦時中の医療実験の犠牲者ではないかという説をとなえる人もいる。
今では、暗くなると、苦しめられた人々の魂が、助けを求めたり、耳元で静かに囁いたりする。戸山公園では、幽霊だけではなく、本物の人骨を見つけるかもしれないという噂がある。
3 雑司ヶ谷霊園
雑司ヶ谷霊園は東京の最も大きい霊園のうちのひとつで、様々な信仰をもつ人々の墓や納骨場がある。
目撃者は、朝昼晩に関係なく、雑司ヶ谷霊園には人の顔が現れたり、白い手が伸びてくると話している。一番危ないのは無縁仏の墓だ。ある人はネットに「特に、無縁仏の墓あたりがやばいです。通りすがりに『あれっ』と思って振り返った瞬間、走って逃げましたね。系統としては、白い手がいっぱい出てくる系でした」と書き込んだ。雑司ヶ谷霊園内の灰色の墓や十字架、卒塔婆などの間を歩くと、背中に冷たいものが走った。
2 道了堂跡
暗くなってから大塚山公園を歩くことはおすすめしない。街灯がなく、夕方6時でも本当にまっ暗なのだ。そして月の光で首なし地蔵が照らされている光景は真の恐怖だ。そして自分もまた、この場所で新たな犠牲者になってしまうのではないかという気持ちになる。
1963年、この場所で最初の殺人があった。当時、寺はまだここに建っていた。81歳の女性の堂守りを強盗が殺害したのだ。遺体は寺の中の一室で発見され、部屋中が彼女の血で染まっていた。喉と胸は包丁で切り裂かれており、顔には座布団がのせられていた。この凄惨な殺人が明るみに出ると、寺は閉じられた。
それから10年がすぎた1973年、道了堂からそう遠くない場所で、行方不明になったと思われていた女子大学生の遺体が発見された。彼女を殺したのは、彼女が通っていた大学の教授だった。彼女を殺した後、教授は妻子を巻き添えにして自分も自殺した。遺体は静岡県伊豆町の海岸で発見された。
さらに10年が経った1983年、何者かが朽ち果てた寺に放火し、土台だけが残った。首なし地蔵と、殺された老婆の霊の叫びは、夜毎に聞こえてくる。
1 旧小峰トンネル (ついに取材班は幽霊を見た!?)
そろそろ告白しなくてはいけないが、スプートニク取材班は、この心霊スポットをめぐる旅で、本当に霊に会うかどうか大いにあやしいものだと考えていた。この21世紀に誰が幽霊を信じるというのだろうか。しかし旧小峰トンネルは本当に怖かった。
1989年、旧小峰トンネルの近くで、少女連続誘拐殺害事件の犠牲となった少女の遺体が発見された。80年代、この凄惨な連続殺人事件と、犯人である異常性愛者・宮崎勤は日本で広く知られている。これによって「マニア・オタク」という言葉が広まるきっかけになった。トンネルはこの事件のせいで閉じられたわけではなく、単に安全要求基準を満たさなくなったために使われなくなった。2006年には新小峰トンネルが開通し、古い小峰トンネルは怪談好きが集まる場所になった。多くの人が幼女の霊を見たと証言している。
晴れた日曜日の昼間、取材班はここを訪れた。高い松の木々から差し込む太陽の光、新鮮で少し冷たい空気、未開拓の自然の雰囲気など、すばらしい物語のような光景だった。しかしトンネルの雰囲気はまったくそれと違っていた。
トンネルは使われなくなった今でも部分的に照らされてはいた。しかし最後の方は自分の足も見えないほど暗かった。
恐怖を克服して中に入るのに、かなり多くの時間を要した。おずおずとした最初の一歩を踏み出した後は、パニックは去り、内部は特に怖くはないとわかった。
トンネルから出るとき、ふたたび秋の太陽の光が私たちを照らした。取材班は大通りに出てバスに乗り込み、恐怖は完全に過ぎ去った。
しかし、後で私たちは写真で幽霊を…見た!?
この記事は公開されている情報およびスプートニク取材班のメンバーの個人的な印象によって書かれています。記事中の情報は何ら科学的な根拠のあるものではありません。