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信号機は、エルビス・プレスリーの名が付けられた広場に設置され、その工事費には市の財政約900ユーロが拠出された。
人口約2万9千人の小都市フリートベルクでは、この信号機の設置で集客効果が生まれればと期待に胸を弾ませている。
エルビス・プレスリーは、第2次世界大戦後の1958年から1960年にかけて、フリートベルク市に駐留米軍として滞在していた。
この広場の近くには、エルビス・プレスリーの記念碑が建立されており、また、地域の博物館には、プレスリーに捧げられた特別ホールもある。
兵役の際、エルビス・プレスリーは隣町のバート・ナウハイムに部屋を借りていたが、これまでたくさんのファンがここを訪れ、プレスリーの記念碑にロウソクや花束を手向け、敬意を表した。また、ここではエルビス・プレスリーのヨーロッパフェスティバルも開催されている。