スプートニク日本
・「愛のためなら、世界の果てにでも行ける」日本に移住したロシア人女性のストーリー
新年にスプートニクご紹介したのはエカテリーナ・モリヤさん。ロシアでの彼女の生活は容易ではありませんでした。家庭にでアルコール問題を抱えていたからです。
困難な時期、彼女は日本に憧れ、日本で幸せをつかむことを夢見ていました。
現在エカテリーナさんは島根県に住んでいます。彼女は妻として、そして母親として幸せに暮らし、ブログで動画を発信しています。、日本に来たことを後悔していません。
彼女は、外国人の家庭で暮らす難しさや日本人の「不思議な」習慣、そしてロシアに関する誤解にどう対処するかについて私たちに語っててくれました。
・ラストサムライ 日本人抑留者アヒコ・テツロウのストーリー
この男性の生涯は大きな話題となりました。北海道出身のアヒコ・テツロウさんは若かりし頃、ソ連軍の捕虜となり、カザフスタンに送られました。テツロウさんは強制労働収容所の非人道的な状況の下で数年にわたり、生き残るを賭けて闘い、解放時、体重わずか24キロまでやせ衰えました。スターリンの死後、日本人があれほど待ち望んでいた捕虜の解放が決まりましたが、すぐの帰国は叶いませんでした。テツロウさんの父親は息子を日本に帰すよう3年間ソビエト政府に懇願を続けました。そして許可が下りたにもかかわらず、テツロウさんはカザフスタンにとどまることを決意したのです。
・魅惑の美 岡靖知による「生きた肖像」の秘密
偶然にインターネット上で岡靖知さんの作品を目にした時、しばらくの間、私たちは彼が写真家ではなく画家であることを信じられませんでした。しばらく眺めているとキャンバスの女性たちが動き始めるのではないかと思うほど、彼女たちは生き生きと描かれています。スプートニクは、技術の秘訣を解明するために岡さんと連絡を取りました。そして驚いたことに、岡さんが油絵の技術については独学であることを知ったのです。
・「すっぽんとねこみしか」 日本人がロシアの子どものための漫画を制作
・ロシアより愛をこめて ロシアの花嫁、あやめまつりに初めて参加
タマラ・ソイキナさんは、日本の伝統的な嫁入り行事である「あやめまつり」に参加したはじめてで唯一のロシア人女性となりました。タマラさんは日本での生活や夫との出会いについて語り、そして驚くほど美しいあやめまつりでの花嫁姿の写真を見せてくれました。
・国境に隔てられ 日本人写真家が示す、地図上の線が人の運命に与える影響
日本の写真家の菱田雄介さんは10年以上に渡り、国境を隔てられた国々に暮らす人たちの人生がどのように異なるのかについて研究を続けています。2018年、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と韓国に関する写真プロジェクト 『border|korea』を発表。これによって菱田さんの名前は知られるようになりました。スプートニクは、北朝鮮の生活について、クナシル島とベスラン市で何を見たのかについて、菱田さんからお話を聞きました。
・「苦しみと悲しみに耐えてきた人生を返して」 優生保護法犠牲者の告白
2018年4月から5月にかけて、日本の旧優生保護法の被害者から、健康被害に対する損害賠償の3件の訴訟が起されました。スプートニクは8月、原告の1人である北三郎さんを訪問。北さんは、健康上まったく問題がなかったにもかかわらず、無断で手術を受けさせられた被害者です。北さんは誰にも話すことができない心身の傷をうけ、これに苦しまない日はなかったことなどを私達に語ってくれました。
・「幸せですよ」 初音ミクと結婚した日本人男性の告白
昨年11月、インターネットでは、日本のサラリーマンの近藤顕彦さんが仮想アイドル「初音ミク」と結婚式を挙げたというニュースが話題となりました。スプートニクは、近藤さんが婚約を発表した夏に、取材に成功しました。一見曖昧であった近藤さんの過去が実は社会的に非常に重要な意味をもつものであることが分かりました。近藤さんが人間の女性より仮想の女性を選んだ理由や、いかにいじめを克服したか、そしてなぜ「初音ミク」に恋をしたのかについて、私たちのレポートをぜひお読みください。
・「私は日本で育った雑草」 38年、ベネズエラに生きた日本人女性画家の驚くべき人生
小谷孝子さんは幼少から画家になることを夢見ていました。しかし、運命は彼女に別の道を用意しました。小谷さんは幼児期に結核を患ってしまったのです。病気は彼女の体力を奪い、画家の夢を諦めなければなりませんでした。1973年、彼女は最愛の夫を追ってベネズエラに向かいました。カラカス市で約20年過ごした後、小谷さんは自分の好きな絵画を学びはじめ、複数の展覧会を企画し、ラテンアメリカで最も人気のある画家に数えられるまでになりました。ところが彼女の運命は再び激変しました。2016年に、小谷さんは日本に帰国。以降、ベネゼエラに戻ることができなくなったのです。
・「社会から孤立するのを嫌がる国民性」 反骨の写真家の告白
現代社会界では、カメラを手に持っている人は誰でも自分を写真家と見なしていると前田洋平さんは考えています。前田さんは若い頃、何度か個展を開き、写真の専門家たちから認められるようになりました。それにもかかわらず前田さんはアンダーグラウンドでの活動を続け、すべての努力を慣習との闘いや写真の使命の再考に注いでいます。
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