スプートニク日本
事件の発生した1959年、ソ連捜査委員会は、真新しい足跡を追ってディアトロフ氏のグループの死の原因を明らかにしよう試みたものの、成功しなかった。委員会の出した結論は、「旅行グループの死亡原因は、人々が克服することができない不可抗力だった」というものだった。
その後、この事件は「機密」の封印が押されアーカイブスに保管されていたが、半世紀以上に渡り、ロシアのみならず海外でも奇想天外な噂を呼び続けた。そのうちの1つが米国で撮影された長編映画 『ディアトロフ・インシデント』で、映画では事件はある陰謀によるものとの説が唱えられた。
60年の時間が経過した今、ロシア捜査委員会は、「死者の山」の悲劇の新たな調査を行い、ある結論に達した。それは、ディアトロフ氏の旅行グループは、夜中に発生した強力なサイクロンによる雪崩のために犠牲になったというものだった。
雪崩で重い雪が層となってテントの上に被さり、若者たちはパニックに陥った。このため彼らはわずか数秒の間に、ナイフで割いたテントの切れ目から着の身着のままで脱出せざるを得なかった。
捜査委員会は、旅行者たちは、峠を越える際に氷点下40度にさらされ、上着も食べ物もなく、生き残る術を失ったのではないかと考えている。犠牲者の身体に残された致命的な怪我については、委員会は、旅行者らが雪の下に隠された穴に落下したために負ったという説を唱えている。
今回、ロシア連調査委員会の新たな調査結果は発表されたものの、果たしてこれによってすべての疑惑が解けたといえるだろうか。スプートニクは以前、この ディアトロフ峠事件について取り上げ、別の見解を紹介している。どうぞここからお聞きください。