初開催「ピロシキ博」大盛況:函館とロシアの歴史を美味しく学ぶ【写真】

10日、函館市内のレストラン五島軒で「ピロシキ博2019」が初開催された。主催したのは函館の新名物、焼きピロシキを広めている「ソユーズはこだて焼きピロシキ」で、市内の6事業社が加盟している。参加者は、様々な種類のピロシキやスープに舌鼓を打ちながら、函館とロシアの歴史的なつながりについて楽しく学んだ。当初の定員100人のところ、チケットは早々に完売。20席の追加席を設けたが、それでも足りなかったほど人気を集めた。
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日本でピロシキと言えば揚げパンのイメージだが、本場ロシアでは焼きピロシキが主流だ。「ソユーズはこだて焼きピロシキ」加盟店は、北海道産の食材を中心に、様々な焼きピロシキを製造販売している。訪れたロシア人から「ロシアのピロシキより美味しい」という声が出ているほどだ。

マトリョーシカ、チェブラーシカ、ピロシキ... あなたはどんなロシアをご存知ですか?
もともと、函館とロシアの縁はとても深い。函館は、1858年に日本で最初にロシア領事館ができた場所。「ロシア病院」も開設され、日本人にも無料で治療を行なっていた。同志社大学の創立者である新島襄も、ここで治療を受けたことがある。1865年には、詩人のニコライ・マトヴェーエフが函館で誕生。彼は日本で生まれた最初のロシア人である。マトヴェーエフの数奇な運命はこちらの記事をご覧いただきたい。

ハリストス正教会もでき、1861年にはニコライ・カサートキン司祭が来日。政府がまだキリスト教布教を認めていなかった中、彼は函館で日本について一生懸命学び、日本人の弟子たちを獲得していった。

ニコライ司祭が来日前に読んでいたのが、1818年にロシアで出版されたワシリー・ゴローニンの「日本幽囚記」だ。ディアナ号艦長として千島列島に測量に来たゴローニンは、函館で2年以上捕囚生活を送るが、高田屋嘉兵衛の尽力によって解放される。この手記は、ヨーロッパが日本について知る大きなきっかけとなった。

「ソユーズはこだて焼きピロシキ」の代表、北見伸子さん(まるたま小屋オーナー)は、ピロシキ博開催の動機について「『日本幽囚記』の中には、日本人が作ってくれるピロシキが美味しくて楽しみにしていた、というゴローニンの記述もあります。でも、函館とロシアの関係は、地元の人にも意外と知られていません。ただ食べるだけでなく、函館で開催することにはどんな意味があるのか、楽しく学べる機会を作りたかった」と話している。

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ピロシキの種類が多くてびっくり!
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ピロシキを食べ比べる参加者の皆さん
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ピロシキ博2019

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イベント会場となった老舗洋食店「五島軒」は、ロシア料理とパンの店として明治12年に創業。五島軒の若山直社長は「函館におけるロシア料理」をテーマにインタビュー形式で基調講演を行なった。ロシア極東総合連邦大学函館校の学生や、函館西高校放送局によるピロシキについての発表、合唱、芝居、ウォッカの試飲など、充実した内容となった。

ロシアの昼食にはスープが欠かせない。ピロシキに合わせてロシアの代表的なスープ「ボルシチ」や、かつてロシア病院で出されていたレシピを再現したスープがふるまわれた。オリジナルレシピコンテストでは、「塩ラーメンピロシキ」や鹿肉を使ったピロシキなど、函館ならではのユニークなピロシキ9種類の商品化が決定。新ピロシキは、5月に期間限定で市内のデパートで販売される。今後、ご当地グルメとして人気が高まりそうだ。

大盛況に終わったピロシキ博を振り返り、北見さんは「函館在住のロシア人の皆さんもイベントに関わってくれて安心でした。これが国際交流につながり、函館らしい発展ができれば良いですし、ピロシキを楽しみに世界中から函館に人が来てくれればおもしろいなと思います。ゆくゆくはロシアやウクライナ、アメリカなどのピロシキ専門店からも情報を集め、また博覧会ができれば」と話している。

ロシアのセルギエフ・ポサードにある至聖三者聖セルギイ大修道院のピロシキ

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