スプートニク日本
1)サンクトペテルブルクは3度名称を変えた
サンクトペテルブルクの名は、都市の建設者である、皇帝ピョートルⅠ世の庇護者、聖ペテロに由来。1914年、ドイツとの第1次世界大戦が始まると「聖ペテロの街」サンクトペテルブルクはドイツ語読みのペテルブルグをロシア語風に改められ、ペトログラードと改名された。
1924年、ボルシェビキの指導者レーニンが死去すると、今度は「レーニンの街」を意味するレニングラードとなった。
街が当初の名称のサンクトペテルブルグに戻るには1991年のソ連崩壊を待たねばならなかった。
2)ロシアのサンクトペテルブルクと同じ由来名の街が米国にある
ロシアの100万都市サンクトペテルブルクとは異なり、米国の同名都市は小さな街だ。
その中でもっとも有名な街は、フロリダ州のセントピーターズバーグ。建都は1888年、ロシア人移民のピョートル・デメンチエフによる。デメンチエフは新しい街を自分の故郷のサンクトペテルブルクにちなんでこう名付けた。
3)サンクトペテルブルクは「北のヴェネツィア」と呼ばれる
サンクトペテルブルクの面積の約10%は水面。街は42の島々からなり、掛けられている橋の数も300を超える。中心を流れるネヴァ川の長さはわずか74キロ。しかし、そのデルタには4つの大きな湖と3つの支流がある。そのため、ネヴァ川の水路体系はそれが占める面積では米国の五大湖と比較される。
4)ペテルブルクの地下鉄は、世界最深のひとつ
サンクトペテルブルクの地下鉄で最深の駅は、地下86メートルにある。これよりさらに深い場所にある地下鉄駅は、世界ではウクライナのキエフと朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にしかない。これらの地下鉄駅は、戦時に備え、特別に建設された。
5)全館を鑑賞には数年を要すエルミタージュ美術館 ネコも勤務
エルミタージュ美術館には、約300万のコレクションが展示されており、全館を見学するには1枚の絵を鑑賞する時間が1分以内としても8年はかかる上に、20キロも歩き回らねばならない。世界に誇る豊富なコレクションをネズミから守っているのは「エルミタージュのネコ」たちだ。このネコたちは、美術館の職員としてに公式に認定されている。2014年、エルミタージュ美術館の館長は、尻尾のある職員の数を上限50匹と定め、「それを越す数」のネコたちは、来観者が家に連れて帰ることを許可した。
6)宮殿広場の巨大な円柱は固定されていない
エルミタージュ美術館前の宮殿広場中心にある、重さ600トンのアレクサンドルの円柱は建てられてすでに185年以上が経過しているが、どこにも一切固定されておらず、円柱自体の重さだけで垂直を保っている。
かといって、地元住民も観光客も円柱に近づくことを恐れる必要はない。円柱の安定性は、建設時に計算された物理学的法則に基づいている。
7)7回も盗まれた変わったモニュメントがある
フォンタンカ川にかかる橋の外壁に、地域の人たちから「チージク・ピージク(ずんぐりしたマヒワ)」の名で親しまれている、小さな鳥の彫刻がある。チージク・ピージクに願い事をし、彫刻がある小さなスペースにコインを投げ、運よく乗ったなら、願い事がかなうと言われている。この彫刻だが、今までに7回も盗難に遭った。そのうち1度は見つからなかったため、新しい彫刻が創られることになった。
8)街1番の高さの聖イサアク大聖堂がなぜか戦時中の爆撃を免れた
聖イサアク大聖堂は、ヒトラー率いるナチスドイツ軍との第2次世界大戦争当時、この町で最も高い建物だった。このことからナチス軍は観測用の目印としてその巨大な塔を目印として利用したので、聖イサアク大聖堂が破壊されることはなかった。