古代ロシア国家の歴史は通常2段階に分けられる。モンゴルによる侵攻、すなわち1237年から1242年始まった「タタールの軛」の前と後だ。
これはチンギス・ハンのモンゴル帝国にロシアの公国が朝貢し、政治的に依存していた時代で、その後の国の発展の多くを決定した。
モンゴルの侵攻では非常に多くの町と一緒に「モンゴル時代」以前のルーシの文化や生活のあらゆる要素が破壊された。それらが残ったのは北部地域、特に、北西ルーシの貿易と文化の中心地であったノヴゴロドだった。そのため考古学者らは、本当にユニークなものが見つかる可能性が高いと考えている。
今回、古代ノヴゴロドの領土に位置する修道院で、6つの頑丈な石棺が見つかった。石棺を覆っているプレートの重さは約1.5トン。取り外すためには少なくとも6人から8人の屈強な男性の力が必要だ。考古学者らは、このような石棺を持つことができたのは非常に裕福な人々だけだと語っている。
学者らによると、石棺に納められている人々は全員、中世の基準では高齢者で、年齢は50歳を超えていた。関節の摩耗は激しいものの、歯の状態はかなり良く、これは彼らがノヴゴロドの上流階級であり、生活水準が非常に高かったことを明確に示している。
珍しい発見:古代ロシアの支配階級の人々が納められた6つの石棺が見つかる【写真】
© 写真 : Institute of Archeology RAS
なお石棺に納められている1人は、ルーシのある支配者の同盟者、モスクワ創立者の息子であるフセヴォロド3世(1154年 – 1212年) の可能性があるという。
考古学者らは、ノヴゴロドのエリートたちの石棺が一度に6つ見つかったことについて(これまでにノヴゴロドでは15例の石棺しか見つかっていない)、非常に珍しいことだと述べ、ロシア人の先祖たちの生活をさらによく理解するのに役立つと語っている。