ソ連はソ日共同宣言に「反核条項」の盛り込みを提案したが日本側が拒否=共同通信

共同通信は3日、機密解除されたソ連共産党の重要文書をもとに、1956年にソ連はソ日共同宣言に「反核条項」を盛り込むことを提案したが、日本側が拒否していた経緯が明らかになったと報じた。
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共同通信の報道によれば、ソ連共産党は、ソ連と日本による第2次世界大戦後の国交回復交渉で、「ソ連側は核廃絶を訴える被爆国として同意するよう迫ったが、日本は国交回復後に議論すべきだと主張、反核条項は宣言から削除された」という内容の記録を残している。

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ロシア外務省のザハロワ報道官は2018年暮れの12月の記者会見で、1956年のソ日共同宣言に関して、日本領土からの米軍基地の撤収を求めたソ連政府の姿勢に今も変わりはないかとの質問に対し、「あなたが言及した文書は、関連する交渉プロセスで考慮される」と答え、ロシアと日本の平和条約の準備の基盤となるのは、ソ連が求めた日本領土からの米軍基地の撤収を含むソ連と日本の文書全てであることを確認していた。

モスクワで1956年10月19日、日本とソ連の戦争終結、外交及び領事関係回復に関する日ソ共同宣言に署名がなされた。

ソ連政府は、ソ日共同宣言第9項で、平和条約締結後にシコタン島とハボマイ群島を日本に引き渡すことで同意している。

ソ日共同宣言は、1956年12月8日に両国によって批准されたが、1960年に日米安全保障条約が締結されたのを受け、 ソ連は島の引き渡しに関する義務を取り消した。

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