タイトルの意味と中国人女性たちが「私は慰安婦ではない」と言う理由
班監督がこの歴史的事件の存在を知ったのは1992年のことだった。「日本の戦後補償に関する国際公聴会」がテレビで放送されており、参加していた中国人女性が急に気絶したのだ。後の調べによると、女性の名前は万愛花だった。彼女は公聴会に元「慰安婦」として参加していたものの、「私は慰安婦ではない」と繰り返し証言の中で強調していた。
「20年余りに及ぶ調査・支援活動で、私は100名ほどの女性たちの元を訪問した。被害女性は北朝鮮半島出身の方が十数名、中国籍の方が80数名で、その中で慰安所に入れられた経験を持つ中国籍の女性は2名だけでした。そのほかの80数名の中国籍の女性たちが被害にあったのは、地域こそ異なるものの、いずれも慰安所が密集する都会ではなく、山西省の小さな農村でした。被害にあった場所もいわゆる「慰安所」ではなく、日本軍駐屯地や民家でした。彼女たちのほとんどは家から強制連行され、普通の民家に監禁、外から施錠され、用を足す時にだけ、門番の監視のもと外に出ることができました。「太陽が欲しい」という映画のタイトルは、当時の彼女たちが発した心からの叫びです。
日本で語られる「慰安婦」の実態とかけ離れた、このような被害の形が、中国における戦時性暴力の特徴で、その被害者数は慰安所に入られていた「慰安婦」より多かったと考えられています。これらの事実から、中国人被害女性たちは「私は慰安婦ではない」と長年訴え続けているのです。」
中国人被害女性たちのその後
映画によれば、被害女性の多くは強烈な身体的、精神的暴力により、体調や精神に異常をきたしていたものの、一切の補償を受けられなかった。被害者はおろか、映画撮影のために証言を残してくれた人も殆どこの世にいない。さらに、被害女性らの話によれば、中国政府は賠償問題を提起することすら検討していない。日本では、被害女性らの歴史を振り返る集会が定期的に開催されているが、この歴史について大半の日本人は依然として何も知らないままだ。
映画の主なメッセージ
戦時中、こうした犠牲は中国のみならず、東南アジアの各地でも発生したと監督は考えている。監督によれば、「このような事実を矮小化し、抹消しようとすることは日本と中国、東南アジアの国々にとって、不幸な歴史をより不幸にさせるものだ」。
また、監督はこうも語っている。
「生前、彼女たちが力を絞って私に託してくれた証言と、そこで示された事実を映画として広く日本社会に公開することが、私の果たすべき責任だと思っています。本作の公開を通し、今を生きる日本の人々によって、被害女性たちの歩んだ苦難の人生に、慈愛に満ちたあたたかな光があてられることを願っています」。
映画の来場客と上映後のトークショー
定員45人の上映ホールは満席だった。もちろん、席数が多いとは決して言えない。しかし、休日の過ごし方はいくらでもあったろうに、休日の朝10時に始まった上映会は満席だった。これほど辛い歴史を扱った映画を見ることを選んだ人がそれだけいるということからも、映画に対する関心の高さがうかがえる。来場者は年配の女性が大半だった。主催者側によれば、アップリンク渋谷で行われた『太陽がほしい』の上映会はいずれも満席だったことから、当初は2週間限定だったところを延長して上映している。
実に和やかで開放的な雰囲気の中、中野教授と班監督は映画について25分ほど語り合った。上映後、観客らは一列に並んで監督の著書を購入した。そしてサイン会が始まり、短いとはいえ交流する時間も用意された。
昨今の日本社会を取り巻く慰安婦問題
名古屋市を中心に愛知県で開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」は、開幕からわずか3日で「表現の不自由展・その後」の中止を余儀なくされた。異例の事態を呼んだ最大の原因は、彫刻家の夫婦キム・ウンソン、キム・ソギョン両氏が元従軍慰安婦をテーマに製作した「平和の少女像」の展示だった。
実行委員会の会長を務める大村秀章・同県知事は組織側に脅迫行為が相次いだことを「表現の不自由展」中止の理由として挙げている。脅迫の中には、京都アニメーションの放火殺人事件を彷彿とさせるようなメッセージも見られた。
展示中止公表当日の8月3日(土)から8月5日(月)までに「週刊文春デジタル」が810人を対象に行った調査によると、「『慰安婦』少女像の展示に賛成ですか? 反対ですか?」という質問に対し、74.9%の人が 「反対」と答えた。スプートニクは同様のアンケート調査を実施した。アンケート結果はこのページでも確認できる。