韓国の新聞「東亜日報」と、通信社「聯合ニュース」のフランス語版は、1940年10月7日のフランス軍の報告によると、ベトナム北部の港町ハイフォンに進駐した日本の陸軍と海軍が、それぞれ慰安所を設置するという内容が含まれていた。
両者とも、資料の写真を掲載している。
韓国メディアが報じているところによると、資料には、将校用、下士官用、兵士用という三種類の慰安所があり、それぞれのランクに応じて資金調達がされていたと書かれている。また、1941年に、身元不明の女性25人がハイフォン港に到着したと記録したフランス軍報告書も確認された。
フランス軍が残した報告によると、日本軍のベトナム占領ルートに沿って、慰安所が作られ、それはバクニン、ハノイまで続いた。文書館では慰安所の位置が表記された地図2点も発見された。
地図にはバクニンとハノイにおける慰安所の位置が示されている。
1993年8月に出された内閣官房外政審議室の文書によれば、慰安所が存在していた地域のひとつとしてフランス領インドシナを挙げているが、それ以上の詳しい情報は示されていなかった。
日本の外務大臣が何度も言及してきたように、日本と韓国は1965年に締結した日韓基本条約によって、国交を回復した。日本は、日本が韓国に提供した無償援助の3億ドル、政府借款2億ドルと引き換えに、韓国の法人および個人の財産や権利に関する賠償問題は最終的に解決されているとみなしている。
日韓関係が先鋭化してから、両国のメディアからは、互いを非難する記事や醜聞記事などが発信されている。例えば、韓国メディアが日本を「北朝鮮から石炭を輸入した」と批判したかと思えば、日本メディアが「韓国は、北朝鮮に対して、軍用にも転用できる、日本から輸入したフッ化水素を再輸出している」とやり返す、という具合である。