韓国メディア、フランスで発見された資料に基づき、日本軍占領下のベトナムにおける従軍慰安所について報道

韓国の複数のメディアが報じたところによると、韓国の国史編纂委員会は、フランス国立海外文書館(ANOM)において、日本軍が、当時占領していたベトナムの各地に慰安所を設置し、慰安婦を置いていたとする事実を示すフランス軍の文書を発見した。
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韓国の新聞「東亜日報」と、通信社「聯合ニュース」のフランス語版は、1940年10月7日のフランス軍の報告によると、ベトナム北部の港町ハイフォンに進駐した日本の陸軍と海軍が、それぞれ慰安所を設置するという内容が含まれていた。

両者とも、資料の写真を掲載している。

韓国メディア、フランスで発見された資料に基づき、日本軍占領下のベトナムにおける従軍慰安所について報道

韓国メディアが報じているところによると、資料には、将校用、下士官用、兵士用という三種類の慰安所があり、それぞれのランクに応じて資金調達がされていたと書かれている。また、1941年に、身元不明の女性25人がハイフォン港に到着したと記録したフランス軍報告書も確認された。

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当時ベトナムはフランスの植民地、「フランス領インドシナ」の一部であった。フランス領インドシナ政府は、ナチス占領下のフランスのヴィシー政権によって設立。枢軸国の一員たる日本政府と協力関係にあった。そのため日本軍は1940年9月、北部ベトナムに進駐し、翌年には南部も占領した。

フランス軍が残した報告によると、日本軍のベトナム占領ルートに沿って、慰安所が作られ、それはバクニン、ハノイまで続いた。文書館では慰安所の位置が表記された地図2点も発見された。

地図にはバクニンとハノイにおける慰安所の位置が示されている。

1993年8月に出された内閣官房外政審議室の文書によれば、慰安所が存在していた地域のひとつとしてフランス領インドシナを挙げているが、それ以上の詳しい情報は示されていなかった。


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今年に入ってから日韓関係には亀裂が入っている。それは韓国によるかつての日本の軍国主義に対する批判、特に第二次世界大戦時に韓国を占領していたことから端を発している。二国関係は、韓国が従軍慰安婦問題に対して「真摯な心からの」謝罪を欲していること、そして徴用工問題で、日本企業で働くために徴用された人々に対して、補償金を払うよう要求していることによって、ますます深刻化した。

日本の外務大臣が何度も言及してきたように、日本と韓国は1965年に締結した日韓基本条約によって、国交を回復した。日本は、日本が韓国に提供した無償援助の3億ドル、政府借款2億ドルと引き換えに、韓国の法人および個人の財産や権利に関する賠償問題は最終的に解決されているとみなしている。

日韓関係が先鋭化してから、両国のメディアからは、互いを非難する記事や醜聞記事などが発信されている。例えば、韓国メディアが日本を「北朝鮮から石炭を輸入した」と批判したかと思えば、日本メディアが「韓国は、北朝鮮に対して、軍用にも転用できる、日本から輸入したフッ化水素を再輸出している」とやり返す、という具合である。

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