大学HPによると、今ではTu-2を見られるのは博物館の展示だけだという。復元チームによると、同機を飛行できる状態に戻すには3年の作業を要するという。
多くの航空専門家の間で、Tu-2は第二次世界大戦期のソ連最高爆撃機と考えられている。
Tu-2の運用開始は1942年、大祖国戦争の真っ只中である。しかし技術的な関係で本格的な大量生産は後回しとなっていた。
同機が本格的に大量使用され始めたのは1944年から1945年であり、ソ連勝利に一役を担った。Tu-2の多くは極東に転備され、日本戦に参加した。
Tu-2は合計2千機以上生産され、1950年-60年代にジェット機に替わるまで、積極的に使用された。また同機は中国や東南アジアの国々に輸出されている。
2台のレシプロエンジンを搭載し、高い高度で速度520km/時まで出すことができた。これは当時の対戦国で使用されていた戦闘機の速度に匹敵する。
同機は爆撃機としは非常に大きい、最大3トンの負荷を運ぶことができた。比較として、主要なソ連前線爆撃機Pe-2の最大積載量は1トンである。