あの時、空港でスノーデン氏は… ロシア保安庁からの協力提案を拒否

元米国情報局員、エドワード・スノーデン氏は2013年6月にロシアに来た時、ロシア保安庁側から協力を仰ぐ提案があったものの、これを断ったことを初めて明らかにした。
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スノーデン氏はこの事実について、17日に発売開始の回顧録『パーマネント・レコード(永久記録)』の中で明かしている。本のプレゼンテーションは17日夜、ベルリンで行われており、スプートニクは入手した著書をもとに報じている。

スノーデン氏は2013年6月、米英の特務機関がインターネット上で行っている追跡プログラムについて、ワシントンポスト紙と英ガーディアン紙に一連の機密資料を渡した。この行為に対し、スノーデン氏には30年の禁固刑が科せられる恐れがあった。スノーデン氏は米国を出国し、香港に向かい、そこからモスクワへと飛んだ。モスクワを経由してエクアドルへと渡るつもりだった。ところがこの時点でスノーデン氏は、パスポートが無効にされてしまったため、シェレメチエヴォ空港のトランジットゾーンから出られなくなった。ロシアはスノーデン氏に対して、米国に反対する活動を行わないことを条件に、1年を期限とした一時的な亡命を許可した。

スノーデン氏、アメリカ帰国の条件について語る
回顧録の中で書いているように、スノーデン氏は2013年6月23日にモスクワのシェレメチエヴォ国際空港に到着した。その1年後、2014年8月、スノーデン氏は3年間の居住許可を与えられ、これによってロシア国内はおろか、国外への渡航も許可された。そのさらに3年後、2017年1月、スノーデン氏の居住許可の期限はさらに2020年まで延長されている。

スノーデン氏はパスポートコントロールに滞在していた間、国境警備員らから「パスポートに不備がある」ため、一緒についてくるよう言われた。スノーデン氏が連れていかれたのは会議室でそこには灰色の服を着た数人の男性が座っていた。

「(そのうちの一人が)私にCIAで言われるところの『Cold Pitch』を提案した。これは外国の特務機関員へのオファーで、いわば『我々のところで我々のために働かないか』というものだ。これに答え、協力を行えばどんな種類の報酬でも受け取ることができる。」

スノーデン氏 「ロシアで安全だとは言えないが問題ではない」
スノーデン氏はこれに対して「協力するつもりはない」と答え、自分はいかなる特務機関とも協力する意向はないことを伝えた。

すると男性は自分たちはスノーデン氏を「単に助けたい」と思っていると言い、スノーデン氏の渡航目的を尋ねた。スノーデン氏がキューバ、ベネズエラを経由してエクアドルにたどり着きたいと言うと、スノーデン氏のパスポートは無効となっており、エクアドルに行くことは不可能だという答えが返ってきた。

これを聞いたスノーデン氏は、「自身の政府(米国)が自分をロシアに留め置いたのだ」と悟ったという。

この会話の後、スノーデン氏は「空港で聖書の中の状態に似た40日間を過ごし」、この間に27の諸国に政治亡命を養成したものの、そのすべてから拒否された。それは「米国の圧力に抗う覚悟のある国は1つもなかったから」だった。

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