「セルフメイド」 裕福ではない家庭で育った8人の億万長者

年々、グローバル企業を立ち上げて、自身の才覚と努力だけで財を増やしていく人々が登場する。スプートニク通信は、ゼロから自分のビジネスを起こした世界で著名な億万長者を紹介する。
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セルゲイ・ブリン氏、475億ドル(約5兆750億円)

「セルフメイド」 裕福ではない家庭で育った8人の億万長者

セルゲイ・ブリン氏は1979年、5歳の時に両親とともにモスクワから米国メリーランド州に移住した。9歳でプレゼントにコンピューターをもらい、間もなくしてプログラミング能力で周囲を驚かせるようになった。

メリーランド大学を卒業後、セルゲイ・ブリン氏はシリコンバレーに移り、1990年代に若き研究者のラリー・ペイジ氏とともにネット使用簡素化システムを開発し始めた。

1998年、ブリン氏とペイジ氏は投資家を見つけ、グーグル社を立ち上げた。最初のオフィスはブリン氏の女友達のガレージだった。2年後、プロジェクトは権威あるウェビー賞を受賞し、2004年にブリン氏とペイジ氏はフォーブス誌の億万長者ランキングに入った。

ジャック・マー(馬雲)氏、358億ドル(約3兆8250億円)

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今日の中国で最も豊かな人物は、中程度の収入の音楽家の家庭に生まれた。幼い頃からマー氏は熱心に英語を学んだ。英語の教師になりたかったからだ。しかし大学講師の仕事は十分な収入をもたらさず、マー氏はビジネスを立ち上げることを決心する。

1995年、マー氏は通訳としてアメリカを訪れ、初めてインターネットを使用した。ネットには中国コンテンツがほとんど存在しないことに気づき、帰国後にウエブサイト製作会社を立ち上げた。マー氏は相次いで幸運に恵まれ、4年後、友人らとともにアリババグループを設立した。マー氏はその後、淘宝網(タオバオ)、アリペイ、アリママを立ち上げる。

グレン・スターンス氏、10億ドル以上(約1068億4500万円)

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アメリカのグレン・スターンス氏は貧しい家庭で育ち、14歳で父親になった。スターンス氏の学校の成績は悪く、悪い仲間に囲まれていた。しかしスターンス氏はある人々との出会いから、人生の目的を見つけ、大学教育を受ける機会を得た。

銀行で働き始め10ヵ月後、25歳のスターンス氏は自身の不動産会社Stearns Lending LLCを設立した。2002年にスターンス氏はErnst&Youngの「企業家オブザイヤー」を受賞した。

マーク・ザッカ―バーグ氏、653億ドル(約7兆円)

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マーク・ザッカ―バーグ氏は1984年に医師の家庭に生まれ、ハイスクール卒業後に両親と同じ道を歩もうとしていた。しかしプログラミングに夢中になり、ハーバード大学心理学部を中退、本格的にITに取り組むことになった。その結果、ザッカ―バーグ氏はSMSのフェイスブックを開発した。

フェイスブック会長兼CEOであるザッカ―バーグ氏の公式給与は僅か1ドルだが、彼は同社の株24%を保有しており、それにより2010年には史上最も若い億万長者となった。2018年のフォーブス誌の長者番付では5位だった。

ヤン・クム氏、92億ドル以上(約9829億7400万円)

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ヤン・クム氏はキエフ市(ウクライナ)で、母は主婦で父は建設労働者という家庭に生まれた。1990年代初頭、クム氏は母と祖母とともにカリフォルニア州に移住し、一家は当初、貧困生活を送った。クム氏は食料品店の掃除夫として働いた。

しかしクム氏は高校を卒業し、その後大学へ進み、IT分野の素晴らしい知識を獲得した。学業を終えるとコンサル会社Ernst&Youngの情報セキュリティ部に就職し、その後、ヤフーに転職した。

 2009年、iPhoneを購入したクム氏は、連絡リストに入っている全ての友人に見える、ステイタスを公開できるようなアプリを作ってはどうかと考えた。そうして誕生したのがWhatsApp(ワッツアップ)だ。このアプリは人気を博し、2013年にワッツアップはアップルストアの人気№1となり、1年後にフェイスブックはワッツアップ社を190億ドル(約2兆3千億円)で統合した。

イーロン・マスク氏、225億ドル(約2兆4千億円)

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イーロン・マスク氏は幼少の頃から、同い年の子どもたちと遊ぶより、読書を好んだ。10歳でコンピューターを贈られ、マスク氏はプログラミングに夢中になり、12歳で自身が開発したゲーム、ブラスターを売り、人生初の500ドルを稼いだ。少年はこの500ドルで将来性ある製薬会社の株を買った。

マスク氏は生まれた南アフリカからカナダに移住し、大学に進み、アルバイトを始めた。親類の農場で果物の収穫をしたり、穀物を運んだ。その後は木を伐採して僅かな賃金を受け取り、また時給18ドル(約1,923円)でボイラー室の清掃をするようになった。

大学卒業後、マスク氏は事業を開始した。粘り強い努力は成功に結び付いた。2002年、マスク氏はロケット開発会社スベースXを設立し、同時に電気自動車テスラの共同創業者となった。

アラン・ジェリー氏、15億ドル(約1602億6800万円)

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アラン・ジェリー氏は1929年にニューヨーク州の貧しいロシア移民の家庭に生まれた。第二次世界大戦時、ジェリー氏は海兵隊に勤務し、高校は中退した。戦争から戻り、テレビ修理工として学び、1951年にテレビの販売・設置・修理ビジネスを立ち上げた。

高地という特性上、テレビ信号の質が悪かったため、ジェリー氏は近くの山の頂上にアンテナを取り付け、信号を増幅することを思いついた。ジェリー氏は地元事業家を説得し、信号受信用に頂上のアンテナを使い、そのケーブルで一般家庭に信号を届けるという、地元ケーブルテレビシステム構築に投資させた。

その結果、ジェリー氏は光ファイバーケーブルの普及に取り掛かり、この分野のパイオニアとなった。アラン・ジェリー氏は現在89歳だが、今も現役ビジネスマンだ。

リー・カーシン氏、296億ドル(約3兆1600億ドル)

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リー・カーシン氏は中国の学校教師の家庭で生まれ、一家は1940年に香港に逃亡した。父の死後、家族は困窮し、リー・カーシン氏は小学5年生も終わらないうちから、時計ベルトを売り始めた。その後造花工場に就職した。カーシン氏は環境の悪い製造現場で一日16時間働き、その後夜間学校で勉強を続けた。

リー・カーシン氏のキャリアは造花販売から始まった。少しのお金を稼ぐと、カーシン氏はCheung Kong社を設立し、プラスチック玩具や石鹸皿、櫛、造花を製造しアメリカに輸出した。

現在リー・カーシン氏は91歳で、今も多数の企業の株を所有している。また慈善事業も行っている。

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