現代の高額な最先端医療も感染症に関しては、今のところ、100年前に採られたのと全く同じ方法で対処しようとしている。つまり「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」や手洗い、自己隔離だが、これらが必要なのは健康な人であり、病人は基本的に自分の身体の免疫力に頼るしかない。効果的なワクチンや薬が期待できるのは半年か1年以上先になるからだ。
いうならば、医学が科学として力を発揮できるのは現段階では限度があるが、その医学の評価や予想に政治家や国家の指導者は頼らざるを得ない。
パニックを招きかねない、未曾有の予測不可能な状況で、彼らには理性的な決定を下す用意があるのだろうか。自分たちの下す決定が正しいものであると確信を示すことができるのだろうか。その決定を有権者は信用できるのだろうか。そしてこれが一番重要なことだが、指導者らの決定は選挙に勝ちたいという気持ちに操られたものなのか、それとも国益に駆り立てられたものなのか。不思議な話ではあるが、これはすぐに明瞭にわかる。
ニューヨーク州が危機的状況に陥る中でドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスの感染脅威を軽んじていたことは忘れられはしないだろう。ニューヨーク州での感染者数は14万人超。これはこの記事の執筆の時点ではどこの国よりも多い数値だ。
この状況で、国家債務を超える額を米国経済に注入したところで、トランプ氏の大統領再選のためには効果薄だろう。
英国のボリス・ジョンソン首相の場合は、おそらく、新型コロナウイルス問題に対する軽薄な対応が許されるだろう。同首相は長い間感染症対策で断固たる措置を取らずにいたが、批判にさらされ、自己隔離を呼び掛けた。その後、ジョンソン首相自身がウイルスの犠牲となったのだから、有権者の同情を集めることは間違いない。
一方でドイツのメルケル首相とフランスのマクロン大統領は、一貫性と決断力を示し、悪夢のような発症統計にも関わらず、明らかに自身の支持率を高めている。ともあれ独仏では、民主主義の伝統にも関わらず、強い政府が国民の信頼を失うことは一度もなかった。
しかし今度は、おそらく21世紀に自民党でもっとも成功したリーダーである安倍晋三首相にこの試練を負う順番が巡ってきた。
安倍首相が発表した「非常事態宣言」は、欧州各国で見られるいわゆる「ロックダウン」と呼ばれる都市閉鎖を前提としていない。
国民には特別な場合以外は外出しないよう要請がされた。食料品以外の販売店や娯楽施設、レストランを含め、集客施設の多くが閉鎖となった。同時に通行規制は実施されず、非常事態体制違反での罰金も事実上ない。1週間後には大手のメーカーは操業を再開する。
これは、ウイルスの拡大を予防すると同時に、近づきつつある世界経済危機を背景に経済への過度のダメージを防ごうと、良く考え抜かれた、極めて慎重なアプローチといえる。
こうしてみると、世界の指導者の中で、感染の惨事と経済低迷のどちらをより危惧すべきか、ずばり決断を下した者は一人もいないようだ。