ベスラン市(ロシア連邦の北オセチア共和国)の第一学校で児童や保護者が人質となったベスラン学校占拠事件が起きたのは、2004年。新学年が始まり、ロシアで「知識の日(ロシアの教育機関で最初の授業、特別な集会が行われる日)」と呼ばれる9月1日のことだった。テロリストは1100人以上を人質にとったが、そのほとんどが子どもたちで、地雷が仕掛けられた体育館に3日間閉じ込め続けた。人質はその間、水も食べ物も与えられることはなかった。そして9月3日、ロシアの特殊部隊が学校に突入した。
2004年9月1日はベスラン学校占拠事件の発生日 ロシア史の悲しい1ページとして記憶され続ける
© AFP 2023 / Yuri Tutov
この事件で333人が亡くなり、その中には186人の子どもたちが含まれている。この犠牲者のうちの大部分が学校襲撃の際に亡くなっている。また700人以上が様々な重症度の怪我を負った。この中の多くが16年経った今日でもリハビリを必要としている。
2004年9月1日はベスラン学校占拠事件の発生日 ロシア史の悲しい1ページとして記憶され続ける
© AP Photo / Sergey Ponomarev
ベスラン学校占拠事件は、ロシア人の間で2000年代に起きた悲劇的な事件の1つに数えられている。この年代に起きた他の事件として、2002年のモスクワ劇場占拠事件、モスクワ地下鉄でのテロ事件、第二次チェチェン紛争などがある。
ベスラン学校占拠事件は、ロシアとロシア人にとって実に悲しい事件として記憶されている。2004年に2期目の当選を果たしたウラジーミル・プーチン大統領は、同年に起きたベスランでの悲劇は全生涯において個人的に苦痛を感じるものであると繰り返し述べてきた。
ベスラン学校占拠事件への関心が特に強くなったのは2019年。ロシア人インタビュアーのユーリー・ドゥジ氏が出演した同事件のドキュメンタリー動画(英語字幕付き)が大きな注目を集めたことによるものだった。