不用品の山から、まさかの貴重写真
8年前のある日、イワノヴォに住むエフゲーニー・ロジャノフさんとマリーナ・ロジャノワさん夫妻は、自宅物置を整理していた。古い雑誌や紙束を捨てようとしていたところ、日露戦争に参加したマリーナさんの祖父の写真と、大量のネガと思われるものが出てきた。エフゲーニーさんは、友人のセルゲイ・コノリョフさん(現在の博物館館長)のところへ、どうしたものかと相談に行った。コノリョフさんに「大変貴重なものだ。提供してくれたら、研究を進められる」と言われ、夫妻は祖父の写真だけを手元に残し、残りのネガを寄贈することに決めた。
マリーナさんの祖父ニコライ・グリボフさん(1880–1925)は若くして亡くなったため、マリーナさんの母親は、父から日本の話を聞くことはできなかったという。
マリーナさん「この写真の存在については、私も、私の母も、何も知りませんでした。私はイワノヴォから出たこともないし、まさかこんな風に日本とつながりができるなんて思いもしませんでした。持ち帰ったのがうちの祖父だから、写真を撮ったのも祖父だろう、と言われますが、それも本当のところはわからないんですよ。」
地方の博物館には予算もあまりなく、研究はあくまでゆっくりと進んでいた。そんな折、昨年末にモスクワで円卓会議「日露関係の歴史における輝かしいページ」が開催され、貴重な写真の存在が公になった。そこから注目が高まり、展覧会へと動き出した。
真っ黒なネガ、現代の職人技で鮮明に修復
発見された写真は、全部で78枚。筆者は、ガラス板ネガを見せてもらって驚いた。真っ黒で、何が写っているかほとんどわからない。しかし展覧会の写真は、細かい部分まではっきりと、生き生きとした人々の姿が写っている。
これを可能にしたのは、フリーの写真家、アンドレイ・エゴロフさんのデジタル技術である。今年の春、色々と撮影の仕事が入っていたものの、新型コロナウイルス拡大の影響で、ことごとくキャンセルになってしまった。そこへ博物館から写真修復の仕事が持ち込まれてきたため、集中して修復に取り組むことができた。
「一枚の修復に何時間もかけて、頭がおかしくなりそうだったよ」と作業を振り返るエゴロフさん。丁寧な仕事の甲斐あって、何枚かの写真は、通常のネガを普通にプリントするよりも鮮明に修復することができた。エゴロフさんが指差してみせたのは、移動式教会の写真だ。教会の屋根に書かれている文字や、中のイコン(正教会で礼拝の対象となる板絵)までくっきりと写っている。当時、日本に正教を伝えたニコライ・カサートキン(聖ニコライ)は、日露戦争の最中も日本に残り、日本正教会のために力を尽くしていた。
ロシア人自身が知らなかった、捕虜の生活
ソーシャル・ディスタンスを保つため、展覧会初日はあえて少人数でスタートした。招待客はドミトリー・オルロフ副館長の説明を聞きながら、当時のロシア人捕虜の暮らし、彼らがいかに人道的な扱いを受けていたかを知ることができた。日本は日露戦争が始まる4年前、捕虜の扱いについて取り決めた「ハーグ陸戦条約」を批准しており、これをきっちりと遵守したのである。オルロフ副館長は、ロシア人捕虜が日本の軽業師の曲芸を見物している写真や、日本人の正教会司祭がロシア人捕虜の葬儀に参加している写真などを詳しく解説していった。
初日に訪れた、博物館の常連のオレグさんは「ロシアは、第二次世界大戦を20世紀の主要な出来事とみなしており、日露戦争のことは、ロシアが負けた戦争ということもあって、ほとんど学校でも習いませんでした。日本の、ロシア人捕虜に対しての人道的な扱い、特に曲芸を見に連れて行ってあげるなんて、本当に驚きました。二国が対立している中で、このような例は他に例がなかったし、これからもないでしょう。この展覧会が絵でなくて、写真であるおかげで、その当時の人々が見ていた具体的なものを、実際に僕たちが見ることができるのが素晴らしいことです」と感想を述べた。
日露戦争展の会期は来年1月末まで。戦艦の模型、明治天皇や日本の軍人を描いたユニークなポスターなど、写真以外の展示品も充実している。また、この博物館には、繊維産業で財をなしたコレクターのドミトリー・ブルィリン氏が生涯をかけて世界中から収集した貴重品の数々があり、常設展も見逃せない。
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