カレリアにある音楽院
ペトロザヴォーツクはカレリア共和国の首都。モスクワから約700キロ北にある人口30万人もない地方小都市。ここに広大なロシア全土に12校しかない音楽院の1つがある。今回のコンサート「モンブラン登頂」でオーケストラのタクトを振ったのは同音楽院のアレクセイ・クブィシキン学長。大抜擢でモスクワから移住して2年たらずの若手学長は、ペテロザヴォーツクという土地の特徴と首都の音楽大学との大きな違いを次のように語る。
「赴任してすぐ感じたのは、さすがは共和国の首都だということでした。こんな小さな町に劇場が5つ、コンサートホールが3つ、そして音楽院までもがある。ペテロザヴォーツクの音楽奏者も教授陣も極めてレベルが高く、モスクワ、ペテルブルクに全く引けを取りません。『良い先生がいるから』とわざわざ大都市を捨て、入学してくる学生らがいます。」
1967年開校のペトロザヴォーツク音楽院は、地方に眠る神童を掘り出し、育成するというソ連の音楽教育システムの良き遺産だ。ここの音楽院の過去10年の卒業生のその後の職業を調査した結果、95%が音楽領域で活躍しつづけていることがわかっている。生活、収入水準の高い首都でもこれだけの数値はない。学生らは卒業後、それぞれの国、地方へと帰り、音楽の種を蒔いているという。
パイプオルガン=教会楽器の固定観念なし ロシアの自由な土壌
パイプオルガンというと、バッハ、教会音楽というイメージがまず沸くが、それは欧州ではこの楽器が宗教音楽を奏でる目的で教会に据えられてきたからだろう。ロシアの事情はこれとは異なる。ロシア正教は礼拝にオルガン音楽を使わない。オルガンがあるのはコンサートホールだ。コンサートが成立する季節も異なり、欧州は教会という場所の縛りから夏が中心だが、ロシアは通年で聴き手の需要もある。
井上さんは1998年にモスクワ音楽院のピアノ科に入学。卒業後、オルガンに転向。ロシアのオルガン界では外国人であるだけでなく、様々な楽器と共演に挑みつづけている点でも異色な存在だ。サクソフォンと奏でるピアソラのタンゴはすっかり定番に。トランペット、ヴァイオリン、三味線、そして今は尺八との共演を準備中。聴衆からは「こんな曲があったのか!」「こんな曲、オルガンでやれるのか?」と聞かれることが多いという。井上さんは枠にとらわれないプログラム作りに意欲を燃やしているが、これと同じことを欧州でやるのは難しいと打ち明けている。
井上紘子さん:「ロシアのオルガン文化は、宗教音楽であるべきという欧州の固定観念から外れています。ロシア人は素晴らしいものへの反応が率直でオープン。それでこちらもクリエイティブにいいものを生み出したいという気持ちになる。私はオルガンを教会楽器ではなく、『オーケストラ』としてとらえています。いろんな楽器と音楽を追求したい。ロシアでは、コンサート楽器としてのオルガンの莫大な可能性を使いきることができる。」
善き理解者と奏者 邂逅が生んだ幸せな音楽
いい奏者がいても、これを理解できる人間がいなければ創造的なコンサートは成り立たない。ペトロザヴォツク音楽院元副学長でピアノ科教授のアレクサンドル・ウトロービンさんは井上さんが「この人がいなければ自分はペトロザヴォーツクで今、演奏はしていない」と断言する、一番の理解者だ。ウトロービンさんは2019年から井上さんと共同で、同音楽院ホールでのオルガンのプロジェクトを制作している。スタートから3年目の若いプロジェクトだが、作りたいという二人の想いは10年前から温められてきたものだ。
ウトロービンさん:「ちょうど10年前、ホールのこけらおとしに紘子を呼んだんです。その演奏がとても気に入りましてね。彼女がモスクワで師事していたピアノの先生とは何度も一緒に仕事をして、音楽の理解を共有していました。だから紘子と話し出すと、実に多くの理解、興味が一致していることがわかったんです。
そのうちにオルガン・コンサートのプロジェクトをやろうじゃないかという話になりました。私達が願ったのはペトロザヴォツクの文化生活に常にオルガンの音が響いていること。どんなプロジェクトにしたいか、その時の私たちは互いに像が結べなかった。でもやりたいという気持ちは強かった。」
モスクワ、サンクト・ペテルブルクには最高のパイプオルガンも奏者もいる。作るなら、ただのオルガンコンサートでは面白くない。ペテロザヴォーツクでしかできないものをやろう。ふたりが目指したのは、他の誰も絶対にできない最良のプロジェクト。ところが練り上げた案に、当時の音楽院幹部からの理解、賛同は得られなかった。ホールも修理による長期閉鎖でプロジェクトは数年間、休眠状態に。だが、これが互いに熟成の時となる。8年後に再会した時にはふたりの頭の中に具体的な像が結ばれていた。
『オルガン+』で表現する異文化
ウトロービンさん:「構想は『オルガン+』。ソロ演奏ではなく、オルガンに声楽、様々な楽器を加えるという意味です。プロジェクトの名称は『オルガン:世紀と諸国を通じて』と決めました。空間的に広い領域を、時間的には長い歴史をオルガン音楽で網羅する。様々なエポック、様式、作曲家、音楽像、奏法、音楽思想があり、時代、国によって受け止め方も違います。中国には中国のオルガンが、日本には日本のオルガンがある。オルガン音楽を通じて、異なる文化を表現し、その結合を通じて互いに理解を深めたい。問題が起きるのは多くの場合理解がないからなのです。音楽の持つ理解の力は大きい。言語、信仰、考え方、年齢も様々な人たちがホールに座ってひとつの音楽を聴く時、心が合わさるんです。」
回数は1年に最低でも6回、そのうち半分を外国人奏者が演奏する。多様性を追及し、必ず若手の奏者を加えていこう。「自分らが招きたい奏者だけを招いて、自分らにしかできないプロジェクトをするんだ。誰に遠慮し、顔立てする義理もありません」とウトロービンさんは語る。
方向性を確認しあった二人が熱い気持ちのまま、新学長のクブィシキン氏に構想を伝えると、学長はこう答えた。「あなた方がやりたいと思うことをすべて存分にやってください。」この瞬間、プロジェクトは産声を上げた。
こうして始まったプロジェクト。パンデミックによるブランク、厳しい条件はあっても2021年に入ってすでに4度ものコンサートが成立している。これをウトロービンさんは「私達が正しい方向性にいるということ示している」と確信している。
ロシア人と日本人が共に「モンブラン登頂」
今回のコンサートのタイトル「モンブラン登頂」はウトロービンさんが考えた。イタリアとフランスの作曲家の最高峰のオルガン音楽をやる。この二つの国の間にある最頂点はモンブランだ。この山を目指して登ろうと。
クブィシキン学長:「今回、私達は室内楽を途中入れ替え、交響楽団にして大作を演奏します。自分にとっては紘子の腕前の高さに見合う演奏を学生演奏家からいかに引き出すかという一種の試験で、本当にモンブランの山頂を目指して登る思いです。私は紘子とは精神的な結びつきを感じます。練習の過程で(これだ)とアイデアが閃いた瞬間、何も説明しないのに、もうそれが彼女の演奏に現れている。言葉は要らないんです。」
善き人達の結ぶ友情
日本でも欧州でも、またロシアの首都でさえもここまで障壁なく創造的なことはできなかったという井上さんは、ペテロザヴォーツクの同志の中にあって奏者としての幸せに輝いていた。ここに通う理由を尋ねると、「ウトロービンさんと一緒にプログラムを作っていくことがとても楽しい。友情を深めるために来ていると思う」と笑顔で答えてくれた。
井上さんという演奏家を定義したウトロービンさんのある言葉が心に残った。
「紘子は聴きたい、知りたいという人間と気前よくシェアしようという気持ちにあふれている。彼女は温かな魂の善い人間です。良い演奏家になるには、善い人間であることが大事なのです。」
この晩の演奏はペテロザヴォーツクの人たちの心を強く揺さぶり、全員がモンブラン登頂の喜びに浸った。
コンサートで演奏された作品は次の通り、
アントニオ・ヴィヴァルディ(伊)作曲 ヴァイオリンとオルガンのための協奏曲ニ短調 RV.541
オットリーノ・レスピーギ(伊)作曲 オルガンと弦楽合奏のための組曲 ト長調
フランシス・プーランク(仏)作曲 オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調 FP.93
アレクサンドル・ギルマン(仏)作曲 オルガンと管弦楽のための交響曲第1番ニ短調 Op.42。