「十字の木」「三叉槍の木」。チェルノブイリ原発の隣に生えた松の木はこのように呼ばれている。実際、この木は事故前からずっとこの形をしており、放射能による変化ではない。地元の人々は、第二次世界大戦時にドイツ軍がこの木を処刑に使っていたと語る。
1986年にチェルノブイリ原発事故があり、「石棺」を作るために事故処理作業員が各地から集められた。この珍しい木を写真に撮ることが多くなり、木は新たな名声を得る。つまり写真として人の目に触れる機会が増え、事故のシンボルとなったのだった。
しかし有名な松の木は強力な放射能により枯れてしまった。木は立ち枯れたまま数年を過ごし、その後倒壊してしまった。そして今、その木がノボシビルスクに甦った。25年前に作られたチェルノブイリ事故処理作業員の記念碑の傍らに出現した。
「事故処理作業員の記念碑は1996年に建てられました。周りには普通の白樺が生えています。この記念碑ができてから、1本の木が他とは違う成長を見せ、幹の形状が変わりました」とシベリア連合「チェルノブイリ」メンバーのエレナ・ネゴダさんが語る。ネゴダさんはチェルノブイリの立入禁止区域で医師として働いた経験を持つ。
この場所は今では現在のノボシビルスクとチェルノブイリ事故後の立入禁止区域をつなぐ時間と空間の入口になっている。
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