釣り好きの楽園
アストラハンでは、有名なチョウザメと、その卵のキャビアだけでなく、一年中いろいろな魚が手に入る。第二次世界大戦の最中、他の地域が飢えに苦しむ中、「母なる川」の名の通りアストラハンの住民は漁業のおかげで生きのび、さらには前線で戦う兵士のため魚を送った。かつてカスピ海・ボルガ川にはチョウザメがたくさんおり、その群れはボルゴグラードまで達することもあった。しかし乱獲や密漁で全くいなくなってしまい、現在市場に出回っているのは養殖されたチョウザメのみだ。
アストラハンに来る観光客の6割は釣り目当てだ。ボルガ川のほとりを歩いていると、釣り人がたくさんいる。筆者が訪れた4月下旬は、アストラハンを代表する川魚「ボブラ」のシーズン。干物にして、ビールやウォッカのつまみにするのが一般的だ。ボブラ釣りに欠かせない「チェルビ」(幼虫)は町の至るところで売っている。
アリーナさんは「アストラハンの男性には自分だけの釣りスポットがあって、そこで集中的に数日間釣りをした後、自宅の浴槽に生きた魚を放ちます。だいたい女性がさばいて料理しないといけない流れになります」と苦笑する。
市内のレストラン「ベルーガ」では、アストラハンの川と海の幸が堪能できる。中でも4種類の地元の魚から作ったスープ(ウハー)は最高に美味しい。
過去と現在、民族と宗教のミックス
筆者はアストラハンを訪れる前に、カルムキヤ共和国にいた。そこから300キロの道のりをバスでやってきた。カルムキヤの首都・エリスタは清潔で手入れの行き届いた町だったので、アストラハンに来てそのギャップに驚いた。第一印象は「汚い」。とにかく廃屋とゴミと野良犬が目に付く。
市内を歩いていたら、バンバンと何かを打ち付けるような音が聞こえてくる。その音のするほうへ歩いていくと、なんとそこにはほこりをかぶった謎の絨毯屋があった。店主が絨毯を叩いていたのである。この店のまわりには野良犬が多数たむろしており、かなり長い間つきまとわれた。
しかし町全体が荒廃しているわけではない。ボルガ川のほとりは整備されてとても綺麗だし、廃屋の隣に高級な3階建ての注文住宅があったり、ゴミが放置された空き地の道路を挟んで反対側には、モスクワのボリショイ劇場よりも大きい豪華オペラバレエ劇場がある。近代的なビジネスセンターやホテルもある。
これまでロシアの色々な町を旅してきたが、こんなに一体感のない町は初めてだ。しかもアストラハンの人はそのことを特に気にしていないようだ。と言うか、この町の住民自体にも全く統一感がない。統計上はロシア人が最も多く、住民の8割近くにのぼり、あとはタタール人、カザフ人、アゼルバイジャン人と続くが、町を歩いてみれば、実際にはそれ以上にロシア人以外の人口が多そうだ。アリーナさんに疑問をぶつけてみた。
アストラハンにおける「カスピ海つながり」は強く、カザフスタン、アゼルバイジャン、イランの人々は、アストラハンにかなりの頻度で来ているという。ここ最近10年くらいは、コーカサス地方から商売のためにやってくる人も多い。
韓国人などアジア系住民もおり、彼らは主に農業や畜産に従事している。生まれたときから多民族社会が当たり前だったアリーナさんは、民族問題とは縁がなかったと話す。
アリーナさん「民族とか人種というテーマに意識がいきはじめたのは、大人になってからで、それまではそういう発想自体がなかったです。子どものときは、学校で普通に一緒に勉強しているし、イスラム教のお祭りも、パスハ(正教の復活大祭)も一緒にお祝いして、コンサートやダンスをしたり、民族料理を食べたりしていました。今では、珍しい名前の人がいたら、あなたは何人?と聞いてみることはあります。人種を知りたいとかではなくて、文化に対する興味が大きいです。」
アリーナさんには、たくさんのタタール人の友人がいる。タタール人はイスラム教を信仰しているが、正教徒のロシア人と結婚する人も多い。
アリーナさん「タタール人ってとても記念日が好きで、お客さんを大歓迎してくれ、おいしいものがあると必ず分けてくれます。私の大学の友達はタタール人で、彼女の夫はロシア人です。二人が結婚したとき、夫には、タタールの伝統に従ってタタールの名前が授けられました。子どもはどっちの宗教を信仰するの?という話になったとき、子どもは二人いるので、兄弟で別々にしたそうです。どちらのお祭りも共通で祝うので、大して違いはありません。ムスリムでもロシア正教の教会に入れますし、逆もそうです。アストラハンではイスラム教と正教のお墓は全く隣の敷地に並んでいます。」
アストラハンの町には教会とモスクがとても多い。さらに、アストラハン州内には2つの仏教寺院と、もともとは仏教寺院だった博物館がひとつある。今年5月には、市内で新しい仏教寺院の建設が始まった。三大宗教が共存している、と言うよりは、分かち合える部分を積極的に分かち合って生きているように思う。誰もが自分と違う人に対してとても寛容なのだ。
あまりにも暑いので、バザールでアゼルバイジャン人の店主から夏用の靴を買った。接客が日本のデパート並みに丁寧で驚いた。彼はソ連崩壊直後に出稼ぎのためアゼルバイジャンからやって来た。「家族はみんなアゼルバイジャンにいるけれど、ここの暮らしが心地良いから帰るつもりはない」と言う。何もかも飲み込んで受け入れてくれる町、アストラハン。生きづらさを感じている人は、アストラハンを旅して心のリセットをしてみてはどうだろう。