AP通信によれば、フルフナーは早朝、ハンブルグ郊外にある老人ホームを出て、地下鉄の方角へ歩き出した。ただしフルフナーがどこに行こうとしていたのかははっきりしていない。フルフナー自身は裁判官への書簡に社会から非難を浴びることを恐れていると書いていた。
フルフナーは1943年6月から1945年4月までシュトゥットホーフ強制収容所で秘書として勤務していた。本件は容疑者が犯罪を犯した当時、21歳に達していなかったことから、少年院が審理を担当している。
ナチスの シュトゥットホーフ強制収容所は1939年に当時ナチスが占領していたポーラ
ンド領に建設された。この収容所で死亡したユダヤ人の数は6万5000人に及ぶ。ユダヤ人は医療実験の対象となり、人体の脂肪を材料に石鹸までが作られた。現在、この収容所は博物館となっている。
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