京都とモスクワで、お茶を通じた日露の文化交流 茶道の魅力と知られざる歴史を相互に紹介

10月下旬、京都とモスクワをオンラインでつなぎ、映像を見せながら日露それぞれのお茶をめぐる文化伝統について語り合う茶話会が行なわれた。茶道裏千家の小泉宗敏(こいずみそうびん)教授がお点前や茶道具、茶の心について解説し、ロシア側の参加者は熱心に聞き入っていた。ロシア側も、ロシア人の生活の一部となって久しいティータイムの知られざる歴史を紹介した。
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日本側の会場になった京都国際会館茶室・宝松庵には、京都市の門川大作市長をはじめ、京こま「雀休」の中村佳之さん、和蝋燭「中村ローソク」の田川広一さんといった京都の伝統を現代に伝える人々が集まった。また、小泉教授が指導している京都大学医学部茶道部のメンバーも参加し、日頃の稽古の成果を披露した。
京都の茶室からオンライン中継
ロシア側の会場になったのは18世紀の貴族アレクサンドル・ソイモノフの邸宅で、インテリアも調度品も、ロシア帝国の豪華絢爛さをイメージさせる。邸宅にはロシアの高名な文化人や財界を代表するゲストが訪れ、ワレーリー・ファデーエフ大統領補佐官もリモートで登場するなど、日本の伝統文化に対する関心の高さがうかがわれた。
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この日、日本側が用意した茶道具の中には、バレエ「白鳥の湖」のオデット姫のティアラをモチーフに作られた蓋置きもあり、関心を集めた。ロシア側ではボリショイ劇場のバレリーナだったイルゼ・リエパさんも参加しており、場は一層盛り上がった。
ロシア側のイベント主催者・ロシア法律家協会のウラジーミル・プリーギン会長は「日本側のもてなしは、細部に至るまで、ロシア文化の要素を計算に入れた心遣いがなされていて、非常に嬉しく思います。小泉先生にはぜひロシアに来て指導してもらいたい」と話した。
画面を通して日本側のプレゼンを鑑賞するロシア側ゲスト
ロシア側のプレゼンテーションでは、歴史家でティーマスターのイワン・ソコロフさんが、17~18世紀にかけて、ロシアの茶文化が誕生した経緯について話した。日本茶がロシアに登場したのは1890年代に入ってから。当時、日本が台湾を統治しており、台湾の会社が格安で質の悪い日本茶をロシアへ輸出していた。現在、日本茶は日本食レストランの拡大に伴い急速に普及しており、本物志向が高まっている。
ロシア伝統の湯沸かし器「サモワール」でお湯を沸かすと熱すぎるので、昔はカップではなくソーサーに注いで冷まし、ズズっと音を立てて飲むのがマナーだった。また、砂糖が高級品だった時代に「砂糖を眺めながら(砂糖を入れたつもりになって)お茶を飲む」という意味の言葉が新しく生み出されたことを紹介し、笑いを誘った。
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会場には古都コロムナからはるばる訪れたゲストの姿もあった。テーブルの上にはりんごを使った伝統菓子「パスチラ」や小麦粉が高級だった時代に作られたロシア最古の白パン「カラチ」のほか、ワレーニエ(ロシア風ジャム)やピロシキなどが所狭しと並べられている。
ソイモノフの邸宅を拠点に文化サロン「Torre Paola」を主宰するイリーナ・ノヴィツカヤさんは、「ロシア人はお茶だけを飲むということはなく、ロシアのお茶会には、みんなで美味しいものを食べ、おしゃべりするという要素が欠かせません。今日は素晴らしい日本の文化に触れ、日本に行ってみたい気持ちがますます高まりました」と話した。
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ロシア側で唯一の日本人ゲストとなった在ロシア日本国大使館の池上正喜公使(広報文化部長)は「コロナ禍で制約が多々ある中、日露双方の有志によってこのようなイベントが開催されたことは意義深いことでした。あらためてお互いの文化への敬意と関心を確認し合うことができましたし、コロナ禍がおさまった暁には、茶道を通じて相互理解を大きく深化できる潜在性があるとわかりました。直接の交流ができる日を楽しみにしています」と話した。
イベントの企画・運営にあたった「天茶人プロジェクト」代表の徳永勇樹さんは、自らロシア各地を旅し、カルムキヤ茶道など地方都市で出会った多彩な文化を紹介した。
このプロジェクトを始めたことで、日本とロシアの茶文化の深い歴史をあらためて学んだという徳永さん。「日本とロシアは近くて遠い国と評されることも多いです。だからこそ、違う点ではなく共通する点を探し合うことが必要です。今後もお茶を通じて両国を結び付けられるように努力したい」と意気込む。来春にはオフラインでの茶道イベント開催を目指している。
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