日本がつい最近まで、難民に対し、きわめて厳しい政策をとってきたことを考えたとき、ウクライナ情勢がこうした日本の政策を根本的に変更することはできるのか、あるいはこれは今だけの一時的な現象なのか、「スプートニク」が専門家にお話を聞いた。
ロシア科学アカデミー極東研究所日本研究センターのワレリー・キスタノフ所長は、日本政府の行動は、ウクライナの避難民に対する西側諸国との連帯を「明確に」示すものだと指摘している。
これまで難民の受け入れに積極的ではなかった日本も、一般的な民主主義の価値を支持する必要性があるという理由により、今回のような行動をとっています。しかし、現在、日本は過去にないほど西側をの連帯を強めており、事実、これまでの抑制的な立場から脱却しています。日本はウクライナから地理的に遠く、また日本社会においては、日本の家庭に避難民を受け入れるということに対する準備が『精神的にできていない』(時折、そのように指摘されている)ことにより、日本がウクライナの市民に対してできることというのは、たとえば欧州に比べればきわめて少ないでしょう。欧州はすでに数百万人を受け入れているのに対し、日本が受け入れている避難民の数は非常にわずかだからです。日本政府はウクライナからの避難民に対する善意を表していますが、これは今のところ、政治的な声明のようなものです。なぜなら、もしこれが真の人道的行動であるならば、ではなぜ『ロヒンギャのジェノサイド』のときに、日本政府は同様の行動を起こさなかったのかという話になるのです。2017年のロヒンギャ迫害により、およそ数十万人がミャンマーから避難しました。つまり、あのとき日本は、アジアから迫害された市民を迎え入れるための扉を開かなかったのに、遠く離れたウクライナの避難民に対してはなぜ受け入れの意向を示しているのかという当然の疑問が湧いてくるのです。
先日、ローマ教皇は西側諸国のウクライナ避難民の受け入れについて、世界のどの地域よりも素晴らしいと指摘した。
またRAIテレビに出演したローマ教皇は、難民は、肌の色、どこから来たか―発展国か途上国か―によって等級が分けられていると述べ、我々の行っていることは人種差別であり、これは悪いことであると指摘した。
一方、日本の現行の法律では、難民の地位は、祖国において、人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由として迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有する者に対し、与えられることになっている。それぞれの案件は個別に審査され、数多くの官僚的な手続きを経なければならず、その結果、日本が受け入れる難民の数はきわめて少ないものとなっている。
しかし、ウクライナ情勢に関して、日本はこれまでに前例のない措置を講じているとされ、すでにおよそ400人の避難民を受け入れている。そのほとんどは日本に親族または非常に近しい友人がいる者となっている。
とはいえ、日本政府がウクライナ情勢を背景に発案している、いわゆる「準難民制度」が実際に、難民に対する日本の制度を変えることになるかどうかは、まもなく明らかになるだろう。
そしてこの計画がうまく進展した場合に民主主義日本の社会にとって大きな問題となるのが、異なる国から逃れてきた難民が日本に入国するのに等しい可能性を持つことができるのかどうかということである。