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事故から36年:チェルノブイリ原発事故 奔走する作業員、故郷を追われた人々

旧ソ連(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で1986年4月26日、世界を揺るがした原発事故が起きてから、今日で36年を迎えた。現在も原発から30キロ圏内は立入禁止区域に指定され、かつては原発の従業員とその家族で賑わっていたプリピャチ市は今も無人のままとなっている。
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爆発した4号炉からは放射性物質が大量に放出され、広範囲に拡散。事故翌日から、プリピャチ市民は避難を余儀なくされた。
一方、事故後は各地から動員された約60万人が事故の処理作業にあたった。
スプートニクでは今回、故郷を追われほかの町へ避難した住民と、現場で事故対応に奔走した作業員らの姿を写真でご紹介する。
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放射線を測定する線量測定士(1986年4月27日)

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チェルノブイリ原発の原子炉の屋根に上がる準備をする作業員ら(1986年5月10日)

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「禁止区域」と書かれた看板を運ぶ作業員(1986年4月27日)

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モスクワの病院で治療を受ける男性。男性は事故発生直後、原発で発生した火事の消火活動にあたった(1986年5月30日)

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チェルノブイリ原子力発電所の空撮写真(プリピャチ、1986年4月27日)

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ベラルーシの原発から30キロ圏内の地域で実施された除染作業(1986年6月20日)

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原発30キロ圏内の地域で、避難する前に別れを惜しむ住民(1986年5月4日)

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プリピャチ市の除染作業にあたる作業員(1986年5月1日)

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線量計のデモンストレーションをする医療従事者(1986年5月1日)

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原発周辺から避難してきた住民をパンと塩で出迎えるキーウ州の住民(1986年6月1日)

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原発周辺の田畑で、防護服姿で放射線量を測定する線量測定士(1986年4月7日)

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原発周辺の放射線量を測定する線量測定士(1986年5月28日)

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現地に派遣される専門家チーム(1986年6月1日)

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避難先の幼稚園で眠る子ども(1987年3月20日)

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