1930年代から40年代までスパイ活動を行っていたリヒャルト・ゾルゲの運命には、ソ連、日本、ドイツが絡み合っている。ゾルゲは1895年、ロシア帝国のバクー(現在のアゼルバイジャン)近郊で、ドイツ人技師の家庭に生まれた。その後一家はすぐにドイツに移った。ゾルゲは自分をドイツ人だと認識していたが、母親はロシア人。母親はそのロシア人の魂の一部を息子に受け継がせることができた。
ゾルゲは第一次世界大戦に参加したことで、自国(ドイツ)の秩序の正当性に疑問を抱くようになった。その後ゾルゲは、ドイツの共産主義者の活動に積極的に参加し、1924年にはソ連に招かれ、ソ連の市民権を得て、コミンテルン執行委員会に参加するようになった。1929年、ゾルゲは赤軍参謀本部の情報局の職員として登録された。
1933年以降、ゾルゲはドイツの新聞社の特派員として日本に滞在した。魅力と知識、知性を合わせ持つゾルゲは、すぐにドイツ大使館の駐在武官と友好関係を築き、秘密資料を入手することができた。ゾルゲは、命がけでドイツ大使館の重要文書を密かに撮影し、モスクワに送っていた。
ゾルゲは大祖国戦争開戦前に、ナチス・ドイツのソ連攻撃とその戦力について正確な情報を入手し、1941年秋には「日本はソ連を攻撃しない」とモスクワに報告した。これにより、ソ連はシベリア師団をモスクワ防衛のために移動させることができた。
1941年10月、ゾルゲのスパイ団は日本の警察に捕まり、3年後に処刑された。当時ソ連はゾルゲがスパイであることを認めなかったが、20年後の1964年、ソ連政府はその事実を認め、ソ連邦英雄の称号を与えた。日本でゾルゲは、内縁の妻である石井花子さんと暮らしていたが、石井さんはゾルゲがソ連のスパイであることに6年間気づかなかったという。2000年に石井さんが亡くなった後、多磨霊園のゾルゲの墓の隣に花子さんの遺灰を入れた骨壷が収められた。
スプートニクは2019年、ゾルゲの生涯と仕事を描いたドラマ『ゾルゲ』の放送がロシアのテレビ局でスタートしたと報じた。
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