「核兵器使用の可能性についていえば、もちろん現在(露米)両国は1962年と似た状況にあるとはいえないでしょう。当時は瀬戸際までいったものの、いくつかの幸運な偶然が重なり、核戦争を回避できました」
アルバートフ氏はこのように述べ、60年前のキューバ危機当時は、両国の核能力と配備兵器の質的特徴、米ソ関係や国際関係をめぐる状況が世界を核戦争の危機にさらし続けたと説明する。
「幸いなことに、現在はまだキューバ危機瀬戸際には立っていません。ですが、現在の状況に安心していいということではありません。ここまで核戦争に近づいたことはないのですから。この状況は昨年には想像もつかなかったことです」
アルバートフ氏はこのように続け、キューバ危機当時のソ連のフルシチョフ、米国のケネディ両首脳はお互いに大きな不信感を抱いており、尊敬し合うようになったのは危機が収束した後だと話す。現在の露米関係との類似点としては、プーチン、バイデン両大統領は「相思相愛、相互理解は存在しないものの、お互いの能力を十分かつ相応に評価し、キューバ危機の再来を防ごうとしている」と述べている。
また、アルバートフ氏はロシア側が何かしらの決定をする際には、米国メディアや議会が政府にかける圧力を考慮する必要があるとも指摘している。
「現在、米メディアや世論、議会はバイデン政権に大きな圧力をかけています。ケネディ大統領も当時、キューバをすぐにでも爆撃すべきだという議会やメディアの圧力を受けていました。でも、彼はこの圧力に打ち勝ったのです」
キューバ危機は1962年10月、キューバにおけるソ連のミサイル基地建設をめぐって米ソの緊張が高まった事件。米国は対抗策としてキューバを海上封鎖するなど、一時はソ連と米国による核戦争の寸前までエスカレートした。当時のフルシチョフ、ケネディ両首脳は水面下で交渉を続け、危機の回避に導いた。キューバ危機の期間に明確な定義はないものの、一般にはケネディ大統領がミサイル基地発見の報を耳にした10月16日から、フルシチョフ首相がミサイル撤去を米側に伝えた28日までを指すことが多い。
関連ニュース