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キューバ危機:海上封鎖から60年

きょう10月22日、当時のジョン・F・ケネディ米大統領がキューバ周辺の海上封鎖を発表してから60年目を迎えた。35日にわたるキューバ・ミサイル危機とその余波は、冷戦下で最も深刻なソ米対立となった。
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1962年10月15日、米軍の哨戒機がキューバの森林でソ連が核ミサイル基地を建設しているのを発見。その知らせは翌日ケネディ大統領の元へ届き、22日、大統領はキューバの海上封鎖を命じた。
ケネディ大統領とソ連のフルシチョフ書記長との数日間の交渉の後、世界は核戦争の脅威にさらされたが、両国はミサイル撤去で合意し、ソ連は撤退した。翌1963年8月30日、危機を脱した両国間にはホットラインが設置された。
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ワシントンDCのホワイトハウスでキューバ海上封鎖の発効を命じる宣言に署名するジョン・F・ケネディ大統領(1962年10月23日)

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ソ米の合意に基づき、ハバナ西部・マリエルの軍港でキューバから撤去されるミサイルの積み込みを待つ3隻のソ連船(1962年11月10日)

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モスクワの米国大使館前で、米政府のキューバに対する攻撃政策に抗議する市民ら。プラカードには「キューバから手を引け」の文字(1962年10月27日)

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貨物を確認するため、キューバから来たソ連の貨物船を止める米国の駆逐艦(1962年11月12日)

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ハバナ・モロ要塞に展示されている、キューバ危機でキューバに配備されたソ連の対戦車ミサイル(2012年10月11日)

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キューバのグァンタナモ米軍基地を訪問し、会談するロバート・デニソン米海軍大西洋軍司令官(左)と統合任務部隊4司令官のルイス・W・トルーマン中将(右)(1962年11月17日)

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大西洋でソ連の貨物船「アノソフ」に接舷して貨物検査する米駆逐艦「バリー」と上空を飛行する哨戒機(1962年11月10日)

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ハバナ・モロ要塞に展示されている、キューバ危機でキューバに配備されたソ連の中距離弾道ミサイル「R12」(2012年10月11日)

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軍事基地内で武器を点検するキューバの指導者フィデル・カストロ(中央)(1962年11月2日)

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ワシントンDCのホワイトハウス前で戦争反対を訴える人々(1962年10月27日)

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ソ米の合意に基づき、キューバから撤去したIL28軽爆撃機「イリューシン」を運ぶソ連の貨物船「オホーツク」(1962年12月4日)

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ホテル・ナショナルの庭園(旧掩蔽壕)でキューバ危機50周年を記念する展示を見る男性(2012年10月19日)

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