この貴重な公演はいくつもの会場で行われたが、いずれの公演にも満員の観客が詰めかけた。
「スプートニク」はこの公演の終了に際し、イーゴリ・モイセーエフ・バレエ団の芸術監督で、人民アーティストの称号を持つ、レーナ・シェルバコワ氏にインタビューし、日本について、舞踊について、またバレエ団の哲学についてお話を伺った。
レーナ・シェルバコワ氏
© 写真 : Masalkov Evgeny
イーゴリ・モイセーエフ・バレエとはどういうものなのか?
イーゴリ・モイセーエフ・バレエ団の公演を訪れた多くの人々が、実際には、アンサンブルの演目はクラシカルな意味でのバレエではないことに気が付く。ではなぜアンサンブルは「バレエ」と名付けられているのだろうか。
シェルバコワ氏:「これは面白い話なんです。というのも、バレエと名づけたのはわたしたち自身ではないからです。アンサンブルは地球上のあらゆる大陸で、我が国の文化交流の道を開いてきました。そして1955年には初めて、その芸術を英国とフランスで披露しました。アンサンブルがフランスで公演を行ったとき、フランスの人々がわたしたちのことを「モイセーエフ・バレエ」と名づけ、これがアンサンブルの外国でのブランド名になりました。実際の名称は、イーゴリ・モイセーエフ記念国立アカデミー民族舞踊アンサンブルです。イーゴリ・モイセーエフ・バレエというのは、民族舞踊の天才であるイーゴリ・モイセーエフの真のオリジナル劇場です。彼は本物の舞踊の天才で、それはまるで神が彼にキスをしたかのようです。というのも、彼が行ったすべてのことは、初めて行われたことなのです。彼は民族舞踊を、独自の舞踊表現を使って、プロフェッショナルな舞台にし、そこに新たな息吹を吹き込みました。というのも、もしあなたが村の陽だまりで楽しんでいるとしたら、それは娯楽であり、純粋なフォークロアです。しかし舞台で踊るというのは、これとはまったく異なるものなのです。イーゴリ・モイセーエフ民族舞踊アンサンブルは、メトロポリタン・オペラ、スカラ座、グランドオペラ、コロン劇場など、世界のもっとも素晴らしい舞台で公演しました。しかも一回だけではありません」
スプートニク:「つまり、モイセーエフ舞踊団には特別なスタイルがあるということでしょうか?」
シェルバコワ:「モイセーエフはクラシックダンスについてのあらゆることに精通していました。そして彼は何物にも似ていない独自のメソッドを作り出しました。今わたしたちはそのメソッドに沿って、創作を行なっています。もう何かを作り出す必要はありません。彼がすべて作り上げてくれたからです。今年、アンサンブルは創設85年を迎えます。そこですべての公演はこの記念日に捧げられています。イーゴリ・モイセーエフ・バレエ団の素晴らしさは、地球上のあらゆる場所のまったくすべての人に、通訳なしで理解されるものであるという点にあります。わたしたちの重要な哲学は、善の哲学です。善は常に悪に勝つものです。そしてイーゴリ・モイセーエフのダンスの中でも、善は必ず悪に勝つのです」
イーゴリ・モイセーエフ・バレエ団の公演
© 写真 : Masalkov Evgeny
モイセーエフ・バレエ団が、日本との文化交流をスタートさせた
スプートニク:「なぜモイセーエフ・バレエ団はこれほど長い間、日本公演を行わなかったのでしょうか?そしてなぜ、今、来日することになったのでしょうか?」
シェルバコワ氏:「招待していただいて、来日が実現しました。イーゴリ・モイセーエフ民族舞踊アンサンブルは、1959年に日本との文化交流をスタートさせた最初の芸術集団です。その後、4回、日本公演を行いました。しかし、残念なことに、わたしたちを招待してくれていた興行師が、亡くなってしまいました。今回は、露日協会がわたしたちを招待してくださり、その申し出に承諾しました。元々は、新型コロナによるパンデミックの前に来日する予定だったのですが、コロナで計画が変更となり、2022年に延期されました。そんなわけで、パンデミック後の3年目にようやく来日が実現したということになります」
スプートニク:「イーゴリ・モイセーエフ・バレエは、伝統をしっかり守り続けていることで名高いわけですが、今日わたしたちが目にすることができる演目は、アンサンブルがソ連時代に日本公演で演じたものと、まったく変わっていないのでしょうか?」
シェルバコワ氏:「いえ、プログラムは変更されています。毎回、公演ごとに、異なる作品を入れるようにしています。とはいえ、レパートリーに新しい舞踊を加えるというのは、アンサンブルにとっては非常に難しいことです。なぜなら、イーゴリ・モイセーエフと同等の振付師は現在、いないからです。たとえば、非常に素晴らしいタンゴの作品『Del Plata』というものがありますが、これはアルゼンチンの振付師、ラウラ・ロアットによる作品です。わたしはこの作品にとても満足しています。なぜなら、これはモイセーエフの作品でありませんが、すべて、彼のメソッドに基づいて作られたものだからです。ダンサーにとっては非常に難しい作品でしたが、皆が与えられた役割を見事にやり遂げ、美しい作品に仕上げてくれました。しかし、モイセーエフを超えることはできません。彼はいつも、先のすべてを見通し、時代の一歩先を歩いていました。ですから、アンサンブルのすべては彼の古典に基づいて作られており、現在もこれはとても重要なことです。すべては時代と共に廃れてしまうと思われがちです。しかし、イーゴリ・モイセーエフ・バレエ団は例外です」
日本の印象
スプートニク:「日本の観客、また総じて日本という国からどのような印象を受けましたか?」
シェルバコワ:「わたしは1975年以降、ダンサーとして、3回、日本に行きました。日本の印象について言えば、わたしたちにとってとても興味深い、そして日本人はすべての伝統を守り、敬意を払い、若い世代に伝えているという点で、ロシアに近いと思います。日本人はより叙情的な演目が好きだと思われていますが、昨日の初演では、とてもファンタスティックな歓迎を受けました。それは予想もしていなかったことです。観客の中には、イーゴリ・モイセーエフ・バレエ団の大ファンで、2年前にチケットを買って、公演がキャンセルされてもそれを返却せず、わたしたちを待っていてくれていた人がいました。そのチケットで、今回の公演に来てくれたのです。こんなに嬉しいことはありません。まったく予期せぬことでした。皆、とても深い愛情を示してくださいました。これはすべて、人々には文化というものが必要だからです。文化なくして、どんな国の民族にも発展はありません。そしてロシアの文化を否定することは不可能です。ロシア文化は、世界の文化に非常に大きな影響を与えてきたのです」
スプートニク:「日本舞踊を取り入れることはできると思いますか?」
シェルバコワ:「今日、歌舞伎を観に行ってきましたが、深い感銘を受けました。わたしもそれを見ていて、考えていました。モイセーエフには、ブリャート・モンゴルのおとぎ話『ツァム』という演目があるのです。『ツァム』の登場人物も仮面をしていて、全体的にとても似ているのです。しかし、モイセーエフは日本舞踊を振り付けませんでした。それは、日本舞踊は非常に静的だからです。モイセーエフ・アンサンブルのレパートリーは、非常に動的で、常にテンポよく、情熱的に動くものだからです。しかし、アンサンブルのレパートリーに合うような日本の舞踊を見つけることができれば面白いでしょうね。もしそうした舞踊が見つかったときには、演目にしたいと思います」
スプートニク:「この厳しいご時世に来日できたことは素晴らしいことです。日本に素晴らしいイベントをプレゼントしてくれました」
シェルバコワ:「日本に来ることができ、わたしたちもとても嬉しいです。わたしたちはロシアから平和と愛を持ってきました。ロシアはすべての人に、オープンな心で接しています。そしてわたしたちの舞踊は、民族や宗教、政治体制を超えた人々への愛です。来日できたことを本当に嬉しく思います。わたしたちは、若い心と善意と平和を運んでいるのです」