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高度な古代エジプト文明の紛れもない象徴 ツタンカーメンの墓所発見から100年

1922年11月、エジプトの王家の谷で英国人の考古学者ハワード・カーターが率いる探検隊がファラオ「ツタンカーメン」の墓を発見。墓に眠っていた古代エジプトで最若年のファラオのミイラと夥しい数の貴重な埋葬品の存在が明らかになった。仏TV「フランス24」が報じた。
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ツタンカーメンの墓は2度の墓荒らしに遭っていたもかかわらず、ファラオの墓としては最も損傷が少ないことが明らかになり、観光地として世界の大きな注目を集めるようになった。
ツタンカーメン王墓 【アーカイブ写真】
また、ミイラの顔を覆う黄金のマスクは、古代エジプトの文明の高さを示す紛れもない象徴だった。このことから1世紀を経た今もこの墓を一目見ようと訪れる観光客の流れは絶えることがない。
「フランス24」は発見当時の1922年の様子を再現している。ハワード・カーターが率いる英国人探検隊は初めに階段を、次に前室に通じる扉を発見した。だが、その先に墓自体を隠す、2つ目の扉を見つけるにはさらに1年が要された。それでも考古学者たちの努力は驚嘆に値する発見に結実した。彼らはツタンカーメンの墓から5500点近くの、美しく、貴重な埋葬品を見つけたからだ。これらのたくさんの埋葬品は、若いファラオが来世に携えていけるようにと30世紀以上前、石棺の周りに並べられたものだった。
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ツタンカーメンの復讐

埋葬品の中で研究者らの興味を最も強く惹いたのは、10キロの黄金で作られたファラオのマスクだった。探検隊長のハワード・カーターはデスマスクのあまりの美しさに打たれ、とうとう我慢できず、ミイラの顔から力ずくで引き剥がしたが、その時、ツタンカーメンの頭蓋骨を壊してしまった。この後、次々と起きた謎の死が世界を震撼させた。数ヵ月後、カーターの探検に資金を提供していた人物がカイロで死んだ。そして、墓を訪れた実業家が死に、さらにミイラを検査した放射線技師が亡くなった。相次ぐ死のニュースに、これはツタンカーメンが自分の墓に侵入した者に復讐しているのだと世間は反応し、「ファラオの呪い」の迷信が世間に広まった。
ツタンカーメンの胸飾りに使われた黄色いガラスのが地球外の起源を持っていたことが科学者らによって明らかにされた。
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