第二次世界大戦時、当時皇太子だった上皇陛下は東京から疎開していた。1945年8月15日、昭和天皇が玉音放送で日本の無条件降伏を伝えた時点で、上皇陛下は11歳。1989年から始まる平成(平成は国内外にも天地にも平和が達成されるという意味)時代に天皇として即位した陛下の平和主義は、大日本帝国の廃墟の上に築かれたのである。
当時の陛下は天皇として、戦後の日本国憲法の正当性を公言している。この憲法は日本の非軍事的地位を明記したものである他、昭和天皇とその後継者たちから「神の子孫」という位置付けを取り去ったものとなっている。陛下はその治世において自国民のため、そして日本の軍国主義に苦しんだ近隣諸国に和解を促す存在となった。陛下は自国の過去に対する反省を表明し、第二次世界大戦の血生臭い戦場で死んだすべての人々に祈りを捧げていた。
上皇陛下は皇太子時代、後に妃となる正田美智子さんとテニスコートで出会った。美智子妃は日本の大手製粉会社の社長令嬢で、皇族や華族の出身ではなかった。美智子妃は当時、皇室、特に香淳皇后の反対があったにもかかわらず、それまでの皇室の慣例を破って皇太子妃になったのだった。
それまでの皇室は子どもを自分たちで育てず、親子別居という形をとっていたが、美智子妃は、子育てはできるかぎり自分たちでという方針で、お子さまと御一家のために、すべての時間を捧げたのだった。
皇太子時代の上皇陛下と美智子妃 テニスコートにて(1958年)
© AP Photo
沖縄での暗殺未遂事件
沖縄返還から3年後の1975年、当時の皇太子夫妻は沖縄を訪問した。皇族として第二次世界大戦後初の沖縄訪問だった。その訪問時、過激派組織「沖縄解放同盟準備会」のメンバーが、皇太子殿下に火炎瓶を投げつける事件が発生した。その際、過激派メンバーは、第二次世界大戦の戦争責任者としての昭和天皇や当時の皇太子殿下に対する糾弾を求めていたという。この事件は上皇陛下に深い印象を与えるものとなった。それ以来、上皇陛下は定期的に沖縄を訪れている他、沖縄諸島や奄美諸島などに伝わる琉歌に興味を持ち、8首の琉歌を発表した。
より身近な存在に
上皇陛下はその天皇時代において、これまでの天皇とは「違う」天皇であることを繰り返し示してきた。当時、上皇夫妻は自国民の前で、「国民のための君主」のイメージを示してきたのだ。2011年には、福島第一原発の事故を引き起こした東日本大地震の発生から5日後、陛下はこの未曾有の災害に対して決して希望を捨てることがないようにと国民に呼びかけ、被災者やこの災害現場に関わるすべての人々に感謝の意を示す演説を行った。その後、上皇夫妻は作業着姿で被災地を訪問。避難生活を余儀なくされている福島の住民を前に膝をつき、言葉を交わされた。
陛下と美智子妃が被災地で一礼(2011年5月11日 福島県にて)
© AP Photo / Toru Yamanaka
200年ぶりの退位
2016年8月、当時の天皇陛下は国民向けの演説で、日本の天皇制では200年ぶりとなる、生前に皇位を皇太子に譲る意向を表明した。陛下はこの演説で、高齢のため、務めを果たしていくことが難しくなったと説明している。しかし、現行の公式典範には天皇が生前退位する規定はなく、天皇は即位後は崩御するまで天皇の位にあるとされている。そこで前例のない事柄には、前例のない対策を講じる必要があった。陛下は、日本文化を重んじつつ、法律分野の優れた頭脳を集めることで君主に引退の機会を与えるよう働きかけたのだった。その後の2017年の夏、第125代天皇の退位を可能とする特例法が国会で成立した。またその際、退位後の称号は「上皇」になることが決定した。陛下は2019年4月30日に退位。翌日の5月1日、皇太子の徳仁親王が即位した。
皇居で退位の礼に臨む第125代天皇明仁(2019年)
© AP Photo / The Imperial Household Agency of Japan
今後の皇位継承
しかし、皇室は今、別の難問に直面している。現行の憲法と公式典範では皇位は皇統に属する男系の男子皇族が継承すると定められている。そして、今上天皇のお子さまは女性の愛子内親王(21)のみだ。そのため、皇位継承者は現在3人のみであり、その順位の第1位は今上天皇の弟の秋篠宮殿下(57)、第2位はそのお子さまの悠仁親王(16)、第3位は常陸宮殿下(87)となっている。現在の皇室典範を改正し、愛子さまの即位を可能にさせようとの議論もある。しかし、大方の見方は、日本の天皇制はそういった思い切ったことはしないというもので、次の天皇は秋篠宮殿下、そしてその次は息子の悠仁さまと続いていくことになるだろう。
現在、上皇夫妻は東京の仙洞御所で静かに過ごされ、時代の象徴として揺るぎない存在であり続けている。上皇陛下は2022年7月、心不全と診断された。
天皇として最後の秋の園遊会に臨まれ、来賓と挨拶を交わす(2018年 東京・赤坂御苑)
© AP Photo / Eugene Hoshiko
上皇陛下の意外な一面と興味深いエピソード
エクシリアス・アキヒト
上皇陛下は、父の昭和天皇と同様、幼少の頃から生物学や魚類学に興味を示され、数十本にものぼる学術論文を発表されてきた。陛下はこれまで日本に生息するハゼの新種を約10種発見し、これらのハゼの学名には「アキヒト」が用いられている。
テニスがお好き ブッシュ大統領に勝利
陛下は、時間があるときはご家族と一緒に楽器を弾いたり、テニスをしたりすることが多かったと語っている。1992年には、陛下は当時の皇太子殿下(今上天皇)とともに、日本を訪問中の米国のブッシュ大統領とテニスで2回対戦を行い、2回とも陛下が勝利した。