ベトナム戦争の世界的な意味
ベトナム戦争は、冷戦時代の最も重要な出来事の1つとなった。これは北ベトナムを支援したソ連や中国側と、南ベトナムを支援した米国とその同盟国側の対立の頂点だ。ベトナム国内でこの戦争は「解放戦争」、また時に「アメリカ戦争」とも呼ばれている。
米国の参戦
米国がベトナム戦争に参加した主な理由の1つは、アジアにおける共産主義の拡大を阻止することだった。中国で共産党政権が樹立された後、米政府はあらゆる手段を講じて「赤い脅威」に終止符を打ちたいと考えていた。
米政府は、北ベトナムへの爆撃と南ベトナムにおける米軍の行動によって北ベトナムの経済を衰弱させる考えだった。実際、この戦争で人類史上最も激しい空爆が行われた。1964年から1973年にかけて米空軍は約770万トンの爆弾やその他の弾薬をインドシナ半島に投下した。
米国は、このような断固とした行動によって北ベトナムの指導者は米国にとって有利な和平協定を締結せざるを得なくなり、米国は勝利へ導かれると見込んでいた。しかし、そうはならなかった。戦争は長引き、米経済は疲弊し、米社会の安定は損なわれた。
ベトナムでの米国の失策
ベトナム戦争には260万人以上の米国人が参加した。そのうち約6万人が死亡、数十万人が身体障害や外傷を負って帰国した。ベトナムでの紛争が長引くにつれ、米市民からの支持が少なくなり、反戦運動はさらに規模が拡大し、1967年10月にワシントンで行われた所謂「ペンタゴン大行進」でピークに達した。このデモには、若者を中心に約10万人が参加し、戦争終結を訴えた。
抗議者や偏向者の立場は、愛国心に対する多くの米国人の認識を変えた。軍では、脱走する兵士や将校がさらに増えた。大勢の退役軍人が精神障害に苦しんだ。じきに、この戦争の無意味さを誰もが理解するようになった。そのため、1969年に政権に就いた米国の新大統領リチャード・ニクソン氏は、「名誉ある和平による戦争終結」という有名な公約を掲げて選挙運動を開始した。そして1973年1月27日に和平協定が締結され、ベトナムからの米軍の大規模な撤退が始まった。