Q.メドベチュク殿、あなたは長い間沈黙を守ってきましたね。ついに政治的影を抜け出し、かなり大きな記事を書き上げられた。しかし私たちが自分の目で最後に目撃できたのはあなたの交換が成立した日です。その日の感情を話していただけますか。
A.もちろん気持ちは複雑でした。私は交換が成立すると信じていました。一方、私は最後まで疑っていました。2022年9月20日、この交換が成立することを知りました。私はウクライナ機にほぼ12時間、あるいは14時間は搭乗していました。アンカラに航空機で輸送された際、この交換は成立すると明確に理解しました。そこで機体を降りると、ロシア機を目にし、この交換が成立することを認識しました。私は心からロシア連邦の指導部に感謝しています。これは最も困難な時期でした。私の人生にとって、そして私の家族の人生にとって。一方、ウクライナでは不当な刑事訴追の可能性が迫っていました。刑事事件を捏造されていたのです。そしてこれはウクライナ当局が私に伝えていたことですが、禁錮15年の可能性がありました。
Q.そしてあなたは交換され、ロシア連邦へやってきた。ですが、どのようなステータスなのですか。
A.そうですね、ステータスはとても面白い話です。私にはウクライナ国民というステータスがありました。そしてウクライナ国民としてのパスポートもありました。ですが、ご存知の通り、ゼレンスキーは目的を掲げました。それは野党政治家としての私を駆逐し、私との戦いを最後まで遂行することです。
ゼレンスキーは完全に狂気の道を突き進みました。私にはロシア国籍があるという疑惑を口実に、私の国籍を剥奪したのです。私がロシア国籍を所有した試しはありません。私はウクライナの政治家です。これまでも、そして今も。
私はウクライナから逃げていませんし、降伏していません。さらなる戦いを続けていました。自宅軟禁の状態でも。戦い続けていました。交換の結果、解放された後も。そしてこの3ヶ月間も。あなたはインタビュー冒頭、長い間沈黙を守っていたと言われましたが、実際のところ、これは沈黙ではありません。これは活動でした。ウクライナを助けることに加え、ウクライナ国民とロシア国民、いずれの利益にも資するために。この成立した状況下において。戦闘行為を踏まえて。数千人が犠牲になった状況を踏まえて。インフラが破壊されていることを踏まえて。ウクライナで戦争が続いていることを踏まえて。しかし、この戦争はウクライナではなく、西側の利益のために行われているのです。米国、英国に加え、ロシアとの関係をシロクロはっきりさせようとしている他の多くの国々こそ、それはゼレンスキー政権がすでにやったことですが、ウクライナを利用し、ロシアと対決する上で必要な一種の演習場、拠点に作りかえたのです。だからこそ私は自分のチームを回復し、まとめあげる為にこの数ヶ月間を費やしてきました。多くの人々がキーウ(キエフ)からやってきました。多くの人々が今、ウクライナ国外にいます。中にはロシアにいる人も。欧州やトルコにいる人も。彼らは戦いを続ける用意があります。彼らは今後も自分について宣言する用意があります。
ロシアでも、ウクライナでも、西側でも、新たなウクライナの声に耳を傾けることが必要です。それは存在します。ゼレンスキーが標榜するレジームは指先でこねあげられたレジームです。拷問で築き上げられたレジームです。ゼレンスキーはウクライナ国民が結束したと言います。状況を見極める力を無くし、ヒステリックにただ反ロシア、ロシア嫌いを叫ぶという意味では結束したと言えるかもしれません。ですが、実際はちがいます。アンチ・ロシア以外にもウクライナ領にはこの点について公言することを恐れる人たちがいますが、彼らはウクライナとロシアの関係に見られる特徴や、今日成立した内容を支持したことはありません。彼らはウクライナ人です。私と同じように。
私は自分の考えを裏切ってはいません。逮捕されながらも。6か月間にわたってウクライナ保安庁で拘束されていた時も。私は戦いを続けます。そして私はこの新たなウクライナが、声をあげることを恐れる人たちの立場があらゆるところで明確になることを望みます。ロシアでも、ウクライナでも、西側でもそうです。新たなウクライナを体現する人がいることを伝えたい。バンデーラのウクライナでも、ファシズムのウクライナでもない、新たなウクライナです。それはゼレンスキーが表明する声明やネオナチ政策とは全く無縁です。
Q.あなたは記事の中で、ウクライナ救済のためには新たな運動が必要だと指摘されました。この国が地政学的分割の場となることに反対すると。
A.その通り。ゼレンスキーの政策に反対する人々は存在します。この新たなウクライナに耳を傾けるべきです。その代表部が登場すれば、その声に耳を傾けられるならば、その声は聞き入れられる可能性があります。仮にこれを信じる人々が、この流れで行動する用意のある人々がこれらの人々を結束し、「いや……そうなのだ、我々はウクライナを去ったが、我々はウクライナ人なのだ」と発言するならば。そして私たちは将来のことを考えたい。なぜなら今日、実際のところウクライナは存在しないからです。憲法に記されています。ウクライナは独立し、主権を持った民主主義国家であり、法治国家であり、社会的国家であると。しかし、ウクライナは独立と主権を失いました。何故なら14年以降、この国は西側、米国、英国の完全な外部管理に移行したからです。国内ではマスコミが不当に閉鎖され、司法と憲法の秩序も存在しません。別の視点を唱える人々は駆逐されるのです。経済は破壊されました。GDPは今日30%も下落しました。製造業の下落は70%です。今日の失業率は35%です。社会保障政策は今日、実現しようがありません。
したがってこれは事実上、国家ではないのです。実際上の国家でなくなったのは、国家政策の根本においてはゼレンスキーとその徒党が推進するネオナチの政策があるからです。
Q.では、ウクライナでは何かを変えることができるとお考えですか。新たな人物が例えばやってくるとして、それは次なるオリガルヒ(新興財閥)になるのではないでしょうか。どうにかしてウクライナのアンチ・ロシア的視点を解決できると思いますか。
A. 第一に、アンチ・ロシアの機運を変えることはできます。それを容認しない人がいますから。この人たちは主張すること、自分の声を恐れています。なぜなら、抑圧的な仕組みで抹殺されるからです。その仕組みは民主主義と法治国家の理念を損なうものです。裁判所もなにもないのです。存在するのはゼレンスキーとその徒党が下す大統領令だけです。その徒党はいま、そんなことしかしていません。
次に、あなたが言っていた問題に戻りましょう。例えば別のオリガルヒだったり、そういう人が選ばれるとします。選ばれるには国家が必要です。しかし、国家は、私が然るべき論拠を提示した通り、ウクライナという国は今日存在しません。どんな選挙がウクライナでありえるというのでしょう。そうです、ゼレンスキーは指名できます、選挙だといいます。でもこれは選挙ではありません。
Q.ゼレンスキーが耐え抜くと思いますか。長期にわたっていまのポストに留まりますか。
A.ゼレンスキーの運命は私には分かりません。ですが、私は言うべきです。私は言いたいです。ウクライナに対し、ウクライナ国民に対し行ったことについて彼は責任を取るべきです。彼が国家を破綻に導いたのです。彼が国を戦場に放り投げたのです。彼がやったことです。というのも、思い起こしていただきたいことがあります。今日は残念ながら多くの人が忘れてしまいましたから。 2月24日以前にあったことを。戦争を避けるために全力をつくす必要があったのです。戦争を引き起こさないために。問題はゼレンスキーがそれをできたかどうか。私は答えます。できました。それどころか、私は主張します。彼はそれを行う義務がだった。彼はミンスク合意に従って行動する義務があった。 メルケル、オーランド、それにポロシェンコがワンワン吠えていることはご存知でしょう。
Q.誰もそれを守ろうとしなかったのですか。
A.その通りです。
Q.ではどこに保証があるのですか。同じような人が登場し、同じようなことにならないという保証は。
A.そうしたことを将来的に防ぐためにも、ウクライナという国家の破壊に繋がった根本的原因を排除する必要があります。それを実現できるのは、国家政策からネオナチを駆逐するときです。軍国主義的国家でなくなる時です。いま一度、強調しておきますが、我々は国の将来ではなく、ウクライナ人の将来について話をしています。これがもっとも大事なことで、私たちはこれに取り組んでいます。ウクライナ人の未来です。ではどのような国で、いかに彼らが生きていくのか、これはウクライナ人が決めることです。そのウクライナ人こそがいま、新たなウクライナを体現しているのです。