ホロコーストの犠牲者と英雄たち

1945年1月27日、旧ソ連軍によってアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が解放された。ナチス・ドイツの行った絶滅政策により、約600万のユダヤ人が殺害されたとされる。このことから国連総会は2005年、1月27日を「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー(国際ホロコースト記念日)」と定めた。
この記事をSputnikで読む
ホロコーストの生存者やその親族、そして犠牲者を追悼する世界各地の展示の数々を、スプートニクでお伝えする。
1 / 14

ホロコーストの犠牲者を背景にコーラスが披露されたヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)の開館式。ホロコーストの犠牲者600万人に焦点を当てた当館の開館式には、約40カ国の首脳や高官らが出席した(イスラエル・エルサレム、2005年3月)

2 / 14

アウシュビッツ収容所に収容され、生き延びた母親と自身幼い頃の写真を手にとるポーランドのトバ・フリードマンさん(当時82)。写真は世界ユダヤ人会議提供(米ニューヨーク、2019年12月)

3 / 14

ホロコースト博物館で展示された「アンネ・フランク:プライベート・フォト・アルバム」(米ヒューストン、2004年8月)

4 / 14

アウシュビッツ収容所を歩く米ニュージャージー州在住のホロコースト生存者、エドワード・モスバーグさんと孫娘のヨルダナ・カルガーさん(ポーランド・ブレジンカ、2017年4月)

5 / 14

ヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)にある、天井にホロコースト犠牲者の名前と写真が記された「名前のホール」(イスラエル・エルサレム、2020年4月)

6 / 14

毎週会合を開く超正統派ユダヤ教徒のホロコースト生存者たち(イスラエル・エルサレム、2012年1月)

7 / 14

ホロコースト記念館で公開されている、17歳で家族とともにベルギーから逃れたジョセフ・ストリップウンスキーさんの旅券(米ワシントン、2017年6月)

8 / 14

ヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)で65年ぶりに再会したカナダ在住のサイモン・グラスバーグさん(当時81)とヒルダ・シュリックさん(イスラエル・エルサレム、2006年9月)

9 / 14

ホロコースト記念館の初日に公開された、ブラジルに避難した人々の物語を表示する展示テーブル(ブラジル・リオデジャネイロ、2023年1月19日)

10 / 14

記者会見で、収容所の犠牲者である亡き父ジョセフ・サピアさんの写真を掲げるホロコースト生存者、イステル・サピアさん。サピアさんは父ジョセフさんの口座に対する請求権について、クレディ・スイス証券と和解に達した(米ニューヨーク、1998年5月)

11 / 14

壁に映し出された自分の姿とともに撮影に応じるホロコースト生存者のアレックス・サイデンフェルドさん(当時82)(イスラエル・エルサレム、2012年1月)

12 / 14

国連本部のフェンスに掛けられた、イタリアの写真家ルイジ・トスカーノ氏によるホロコースト生存者のポートレート。ホロコーストの犠牲者と生存者を追悼するプロジェクト「Lest We Forget」と連動した展示会「Survivors, Victims and Perpetrators」の一部(米ニューヨーク、2018年1月)

13 / 14

ホロコースト記念館の初日に公開された常設展の写真(ブラジル・リオデジャネイロ、2023年1月)

14 / 14

ヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)で行われたホロコースト犠牲者の追悼式典に参列したホロコースト生存者とその親族(イスラエル・エルサレム、2005年5月)

コメント