80年前の今日 赤軍がルガンスクを解放 人々はソ連のために命を捧げた

80年前の今日、大祖国戦争中の1943年2月14日に赤軍はルガンスクを解放した。その7カ月前、現地はドイツ軍に占領された。解放後、侵略者たちは撤退し、現地には廃墟と灰が残された。スプートニクは、敵を追いやる英雄的な瞬間を捉えた写真をお届けする。
この記事をSputnikで読む
当時、ルガンスクはヴォロシロフグラードと呼ばれていた。この街は1942年7月17日、ナチスに占領された。前年の1941年には多くの産業と住民の一部が街から避難したが、ほとんどの住民は占領されたこの地に残っていた。占領下の現地で人々はあらゆる恐怖にさらされ、その間に1万7000人が銃殺された。多くの人が餓死し、労働ができる体力がある人たちの多くはドイツに連れて行かれた。
1 / 3

撤退するドイツ軍に砲撃する砲兵隊

2 / 3

第18軍第4狙撃兵師団第220狙撃兵連隊の政治委員、アレクセイ・エリョーメンコを映した写真「大隊長」。エリョーメンコは負傷した中隊長に代わり、反撃のため部下を奮い立たせた。1942年7月、戦闘中にヴォロシロブグラード(現ルガンスク)州ホロシェー村近くで落命

3 / 3

ヴォロシロフグラード州(現ルガンスク)州で砲弾を除去するソ連軍兵士

ソ連指導部は、ドンバス北部の解放を目的とする軍事作戦(コードネーム「跳躍」)を決定した。この作戦の実施期間は1943年1月29日から2月18日に定められた。ルガンスクの解放は、2月14日の夜明けに始まった。その日のうちに、街の大部分は赤軍が掌握した。
1 / 3

ヴォロシロフグラード(現ルガンスク州)で前線への道を作るソ連軍の工兵たち

2 / 3

攻勢を続けるソ連軍

3 / 3

戦闘の合間に党員集会を開く南西戦線の砲兵部隊の兵士たち

その年9月4日、ソ連軍はついにその地を侵略者から解放した。この戦いで、12万人以上の兵士の命が失われた。亡くなった兵士の国籍はさまざまだった。この地域の40万人以上の住民が前線に赴き、286人の兵士がソ連邦英雄の称号を手にした。そしてまさにルガンスク州が解放されたことにより、ドイツの侵略者からのウクライナ解放が始まったのだった。
1 / 3

ハリコフ方面に進撃するソ連軍部隊を迎えるドネツ村の人々

2 / 3

南部戦線の任務から帰還した偵察兵

3 / 3

第3ウクライナ戦線第15民兵コサック騎兵中隊長のパラモン・クルキンと息子のミハイル・クルキン。2人は東部戦線のドンバス戦略攻勢に参加した

コメント