1966年1月、スペイン南部アンダルシア州のパロマレス付近の上空で、水素爆弾4個を積載していた米爆撃機「B-52G」が給油機「KS-135」と空中衝突。核爆発は免れたものの、プルトニウム239などが周辺に飛散した。除染作業が行われたものの、現在も汚染土が残されている。
「El Pais」によると、スペイン外務省は、米西両政府が2015年10月に文書化した米国の「政治的責任」について言及。放射能で汚染された土壌を米国が引き受けて、米ネバダ州の砂漠に投棄するよう求めている。ネバダ砂漠はネバダ核実験場があることで知られている。
現在でも事故現場周辺には、計40ヘクタールの面積に、約5万立法メートルの汚染土が放置されている。こうした区画は2007年、高い放射線量が確認されたことを受けて、フェンスで覆われている。
冷戦下当時の米国は「クロームドーム」という作戦名のもと、核爆弾を積載した爆撃機を常時上空に飛行させていた。これは、ソビエト連邦との核戦争が始まった際に、攻撃機を離陸させる時間を節約するためだったといわれている。パロマレスの空中衝突事故も、この作戦にあたっていた米軍機が起こしたものだった。
しかし、この事故は深刻な外交危機を引き起こし、核爆弾を搭載した米軍機の欧州や地中海上空の飛行は中止に追い込まれた。一方、「クロームドーム」作戦が最終的に中止となったのはスペインでの事故の2年後、1968年にグリーンランド上空を飛行していた水爆搭載の米軍機が機内火災で墜落(チューレ空軍基地米軍機墜落事故)し、同様の大規模核汚染を起こした後だった。
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