NATO軍によるユーゴ空爆から24年

24年前の1999年3月24日、北大西洋条約機構(NATO)はユーゴスラビアへの空爆作戦「アライド・フォース」を開始した。作戦はコソボ自治州におけるアルバニア系住民の民族浄化を阻止するという口実のもとに、国連安保理の承認を得ずに行われた。NATO軍は、空爆の対象は軍事施設であると宣言したものの、実際には多数の民間施設を破壊。78日間に及ぶ攻撃で、子ども87人を含め2500人以上が犠牲となり、大規規模な人道危機を引き起こした。当時の街の様子を、スプートニクが写真で振り返る。
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NATO軍による空爆を受けるベオグラード(1999年)

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NATO軍による「アライド・フォース作戦」を支援するミッションで、編隊を組んで飛行すす米空軍のF-16戦闘機「ファイティングファルコン」2機(1999年4月20日)

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NATO軍によって破壊されたベオグラードの街並み(1999年)

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ベオグラードの夜空を照らすユーゴスラビア軍の照明弾の炎(1999年3月24日)

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ユーゴスラビア上空での作戦を支援するため、F/A-18 「ホーネット」 戦闘機にレーザー誘導爆弾を積む米海軍の航空兵器員

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NATO軍の空爆を受けて燃えるパンチェボ市の石油精製所(1999年4月18日)

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NATO軍の空爆で破壊されたベオグラードの警察本部

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NATO軍の空爆中、ノヴィ・サドに描かれた落書き

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NATO軍の攻撃を受け炎上するノヴィ・サドの石油精製所

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NATO軍の攻撃を受け損壊した民家

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コソフスカ・ミトロビツァで、爆撃を受け崩壊した警察署のそばを通り過ぎる女性(2000年3月25日)

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NATO軍の爆撃を受けた発電所近くから上がる炎(1999年3月24日)

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NATO軍の爆撃で破壊されたドナウ川に架かる橋

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NATO軍の爆撃でノヴィ・サドの住宅地にできた穴

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NATO軍の爆撃で崩壊した集落の家

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