墓所は最大で縦4メートル横5メートルの様々な大きさの地下室から成り立っており、地上からは狭い通路を通って降りていく仕組みになっている。墓所からは象牙、宝石、上質の陶器などで作られた500個以上の遺物が発見された。このことから、墓所は紀元前1500年から1300年の銅の交易の中心地として栄えた地元の都市の支配者のものであることがわかる。
遺物の半分近くはもともと別の文化圏で作られたもので、金や象牙はエジプトから持ち込まれ、宝石はアフガニスタン、インド、シナイ半島で採掘されたものであることがわかっている。この他、バルト海地域でとれた琥珀から作られた製品も見つかった。陶器の皿の大半はギリシャから持ち込まれたもので、このほかトルコ、シリア、パレスチナ、エジプトから運ばれてきた壺も見つかっている。
墓所からは女性と1歳の幼児を含む人骨が良い保存状態で発見された。そのうちの数人は女性も男性もティアラを身に着けており、エジプトのトトメス3世やアメンホテプ4世(アクエンアテン)といったファラオの時代に作られたとみられるペンダントヘッドのついたネックレスをつけた人骨も発見されている。
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