まずはスターリンクについて軽く触れておこう。スターリンクは米実業家イーロン・マスク氏の民間宇宙企業「スペースX」が運営する衛星インターネット通信システム。高度約550キロメートルの低軌道上を周回する約4400基の衛星を使い、理論上世界のどこでもインターネット通信が可能となっている。
ウクライナ軍は前線でスターリンクを活発に利用し、ドローンの管制にも使用している。だが、米紙「ニューヨーク・タイムズ」が伝えたところによると、マスク氏はこのごろ、クリミア半島付近でウクライナ軍がインターネット接続を求めた際には拒否している。本人はコメントしていないが、このほかにもしばしば使用制限をかけているという。
だが、ウクライナ軍が困難に直面した背景には別の理由もありそうだ。ルガンスク人民共和国軍の退役中佐、アンドレイ・マロチコ氏は、スプートニクに対し、次のように述べている。
「傍受されたウクライナ兵の通信を分析すると、ルガンスク方面でスターリンクを利用した通信に困難が生じているようだ。多くの人はロシアが電子戦装備を使用して通信を妨害したことが原因であると考えている」
ロシア国防省は、この件に関して公式のコメントは出していない。
ロシアの電子戦システム
米紙「ワシントン・ポスト」は4月、米国防省から流出した秘密文書をもとに、ロシアが電子戦システム「トボル」でスターリンクの通信を妨害する実験を行っていたと伝えている。それ以上の詳細には触れられていないが、ロシアは実際に衛星通信をジャミングできる兵器を保有している。
これまでに露国防関係者はスプートニクに対し、ロシアが静止軌道上(上空約3万6000キロ)にある衛星との通信を妨害する兵器を開発したと明かしている。詳細は軍事機密のため明かしていないが、「敵の電子機器を抑圧するだけでなく、永久的に無効にすることもできる」と話している。
「トボル」以外にも、ロシアは「クラスハ」、「モスクワ」、「インファウナ」、「リール」、「トライアド」といった様々な高性能電子戦システムを保有している。
軍事ポータル「ミリタリー・ロシア」の創設者で軍事アナリストのドミトリー・コルネフ氏は、スプートニクに対し、次のように話す。
「注意点は、妨害ができるのは非常に限られた範囲だということだ。それでも強力な電子戦システムであれば、数百平方キロメートルの範囲をカバーできる」
コルネフ氏は一方で、敵の通信を完全に遮断することはできず、つながりにくくすることができるだけだとも指摘している。
露軍予備役中佐で露軍事政治分析局の軍事アナリスト、パベル・カルミコフ氏は「電子戦機器は最高機密で、誰も具体的には詳細を明かさない」と指摘。それでも様々な情報から判断すれば、ドンバスでスターリンクが妨害されている可能性はありうるとの考えを示している。
また、露陸軍の退役大佐の軍事アナリスト、ビクトル・リトフキン氏は、次のような意見を述べる。
「4000基のイーロン・マスクの衛星を、全て停止させる能力を持つ電子戦システムを我々が持っているとは思えない。そもそも、本当にジャミングが必要なのか。全ては具体的な状況と軍指導部の決定によるだろう」
スターリンクを「OFF」にしたらどうなるか
仮にスターリンクが作動しなくなったとすると、ウクライナ軍には深刻な問題が発生するとコルネフ氏は指摘する。
「西側の専門家によると、現代の軍事作戦は通信に依存するところが大きい。戦車や塹壕の兵士が、自らの周りで起こっていることを把握できた時点で、任務の半分は終了しているとみなしてもいい。自分が誰に狙われているか、誰を攻撃すればいいかを考える必要はもはやない。西側の理論は戦車兵や塹壕の歩兵の一人ひとりが、通信手段を持っているという前提のもと成り立っている。これこそ、スターリンクがウクライナに提供しているものだ」
ロシア側がスターリンクの大規模なジャミングに成功すれば、ウクライナ軍にとっては「通信惨劇」となる。部隊間の連絡が途絶え、ドローンの攻撃能力も大幅に制限される。ウクライナは戦術と装備を根本的に変える必要に迫られ、時間と機動力を失うことになるとコルネフ氏は締めくくった。