史上最も血が流れた戦い レニングラード包囲解除から80年

きょう1月27日、史上最も多くの死者を出したとされるレニングラード包囲戦の終了から80周年を迎えた。包囲戦が続いた約3年間はロシア民衆史において最大の悲劇に数えられ、毎年、人々は犠牲者を悼んで花を手向ける。
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大祖国戦争(独ソ戦)中の1941年9月8日、ナチス・ドイツ軍はソ連第2の都市レニングラード(現:ロシア・サンクトペテルブルク)の包囲を開始した。戦いは872日にわたって続き、ドイツ軍による砲撃や飢え、病気などが原因で、人口250万人のうち40万から150万人が命を落としたとされる。
戦線に赴く兵士や包囲される中で生き抜く市民の姿を、スプートニクが写真でお届けする。
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レニングラード包囲中に撮影された写真(レニングラード包囲・防衛博物館より)

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爆撃で破壊された建物(1942年1月撮影)

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解放後の街に繰り出す人々。建物の壁には「市民の皆さん!砲撃の際、通りのこちら側はとても危険です」との注意書きが残る(1944年撮影)

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聖イサアク大聖堂の前で、ドイツ軍による夜間空襲の迎撃に備える高射砲隊(1941年11月撮影)

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レニングラード戦線で戦闘に参加する、アンドレイ・ボンダレフ大佐率いる第168狙撃師団の兵士たち(1941年11月撮影)

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レニングラード市上空に浮かぶエアロスタット(1941年10月撮影)

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ドイツ軍の砲撃で破壊された学校で行われた青空教室(1943年10月撮影)

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建物の屋上で防空任務にあたる兵士(1942年8月撮影)

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住宅管理局の地下室で熱湯の配給を受け取る市民(1942年2月撮影)

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包囲中の市中心部ネフスキー通りの様子(1942年9月)

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イリヤ・グラズノフによる絵画『子供の頃の記憶 レニングラード封鎖』(2004年)の複製画

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ドイツ軍による空襲後のレニングラード市の通り(1942年5月撮影)

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聖イサアク大聖堂近くの菜園でキャベツを収穫する女性(1942年撮影)

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ドイツ軍の砲撃で負傷し、レニングラード市の病院に入院する子どもたち(1942年11月撮影)

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市内を流れるグリボエードフ運河の堤防で訓練を行う消防隊

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レニングラード市上空を飛行するのソ連I-16戦闘機(1941 - 1942年撮影)

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レニングラード市から避難する子どもたち(1942年10月撮影)

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薪を準備する市民(1943年撮影)

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病院で負傷した赤軍艦隊の兵士に食事を与える看護師

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突破後のレニングラード戦線とヴォルホフ戦線の会合(1943年1月撮影)

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